光と風のなかへ まこべえワールドにようこそ
カメラ・鉄道・旅 そしてほんの少し歴史が好きな
まこべえが綴る まこべえワールドにようこそ
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「真実の口」
偽りのあるものが手を入れると 抜けなります

昭和記念公園
2012.4.29.撮影
コンデジで鉄道写真 東京メトロ01系
近い将来 東急東横店の取り壊しにともない
地下鉄銀座線の渋谷駅は 現在の地上部に移転する
これから渋谷の街は大きく生まれ変わる
ただ完成はいつになるのかな

GX200
東京メトロ銀座線 渋谷駅
2012.4.28.撮影
なんでいまさら三段撃ち?
今日の「朝日新聞」の朝刊31面に
信長の長篠合戦に関する記事が大きく出ていた
題して 「三段撃ちしなかった? 織田信長」
長篠合戦で信長が使ったと言われる鉄砲の三段撃ち
それが「近年、虚構とみる説が有力になってきた」という記事なのだが
なんで とうの昔に決着して否定されている話を
いまごろになって 新説のように 取り上げたのかな
信長の三段撃ちなどなかった 新戦術などではない
そんな説を藤本さんが発表したのは1975年
いまから37年もむかしのことだ
ただこのとき投稿した雑誌は 『甲冑武具研究』
もともと甲冑に詳しいかただっので 雑誌も一般誌ではなく
このため 多くの人の目にはとまらなかった
しかし その後 藤本さんは
1980年に多くの歴史愛好家が愛読する
『歴史と旅』や『別冊歴史読本』に自説を発表し
1993年には『信長の戦国軍事学』(ジック出版局)にも詳細な記事を書かれ
さらに同じ年に書かれた『朝日百科日本の歴史別冊 城と合戦』でも
三段撃ちは「非現実的で…とうてい信じがたい」と否定されている
しかもこれは朝日新聞社が発行したシリーズ本の一冊だ
いまから20年もむかしのことだ
このため研究者のなかでは「近年」どころか
とうの昔に三段撃ちは否定されている
それをなんで今ごろになって
「近年虚構とみる説が有力になってきた」
なんていう おかしな記事を書いたのだろう
記事を書いた朝日新聞の記者が ただ不勉強なだけの話ではないのか
しかも自分の新聞社が出した本すら読んでいないらしい
なお 「歴史家」と名乗る鈴木真哉さんというかたが
「戦うときは馬から下りるのが慣習だった」と言われたようだが
これは 明確な 誤り
このかた よく知らないのだが
おそらく宣教師のルイス・フロイスが書いた
次の記事にひきずられたのだろう
われらにおいては、馬(上)で戦う
日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる
(『フロイスの日本覚書』中公新書)
しかし下馬して戦うのは 状況に応じてのことであって
いつも馬から下りて戦っていたわけではない
たしかに長篠合戦では ひとつの部隊のうち
大将や役付のもの「七・八人」は馬に乗って戦ったが
「残りはみな馬」を「あとにひかせ、おりたって鑓をとって」戦った
という記事もないわけではない(『甲陽軍鑑』巻6)
信長も 桶狭間の戦いでは馬から降りて戦っている(『信長公記』)
しかしこうした事例は 下馬したほうが有利だと判断したからであって
いつも馬から降りて戦っていたわけではない
事実 徳川家康は 長篠の戦いの直前
家臣の石川数正たちにこう注意した
「柵等 よくよく念を入れらるべく候事 肝要に候
馬一筋入れ来るべく候」
馬防ぎの柵は よくよく念を入れておけ
敵は馬一筋で突っ込んでくるぞ
(5月18日付、石川数正・鳥居元忠宛、徳川家康書状。『龍城神社文書』)
もし馬から降りて戦うことが「慣習」だったら
こんな注意をあえて言うわけがないではないか
桶狭間の合戦でも 信長軍の波状攻撃を受けるなか
今川義元は最期まで「五十騎ばかり」の騎馬武者に守られていた
当時は騎馬だけで構成される軍団は存在しないが
だからといって戦いの前にいつも降りるわけではないのだ
史実とはかけはなれたストーリーで低視聴率にあえぐ大河ドラマならいざ知らず
朝日のような大新聞が誤った情報を広めてしまうのは困った問題だ
おそらく記事の内容から見て 藤本さんの研究はきちんと読んでいないのだろう
もう一度 自社の書庫で『朝日百科日本の歴史別冊』を読み直してもらいたい
まだまだ朝日の記事や鈴木さんの?なコメントには
書きたいことが多々あるのだが いまは超多忙なので
このお話は ひとまずこれでおしまい
そういえば藤本さんに 最近 お会いしていないなあ

きようの写真は 長篠の写真が見当たらないので
何年か前にゼミの学生と訪れた安土城の大手道から

なおこの件に関する質問は 応対する時間がないため 書き込まないでくださいね
関心のあるかたは 藤本さんの著書(『長篠の戦い』)などをお読みください
Police Concert

今週は多忙につき 写真だけの記事が多くなります
RICHO GX200
さいたまスーパーアリーナ
2012.5.11.撮影
鎌倉 長寿寺 02
長寿寺にある室町後期の観音堂

奈良県の園成寺にあった多宝塔の初層の資材を使って
大正9年(1920)に移築・建造されたものだそうだ

境内の緑がまぶしい

RICHO GX200
鎌倉 長寿寺
2012.5.5.撮影
鎌倉 長寿寺 01
あふれる人混みから離れて 石段をのぼる
山門をはいれば 俗世の音はもう聞こえない

そこは静かな時間がゆったり流れる別世界

建長寺の塔頭寺院 長寿寺

季節限定 曜日限定 しかも雨の日は拝観できない

そんな厳しい制約があるためか
鎌倉の町がどんなに混んでいても
ここはいつも静かな時間が流れている

縁側に座って美しい庭をながめれば
みずみずしい新緑と心地よい風がからだをつつむ

まさに心あらわれる気分だ

写真撮影を目的とした拝観は禁止されているため
あちこちで見られるカメラマンの姿はどこにもない

コンデジに限って撮影は許されているが
ここでは撮影なんか忘れて 心静かに緑を楽しむ

それが一番のすごしかただ
RICHO GX200
鎌倉 長寿寺
2012.5.5.撮影