光と風のなかへ&追憶の鉄路

キハがいた時代 常紋






フィルムの残りを数えながら撮影していた蒸気の時代

見慣れた車両にレンズを向けることはほとんどなかった

しかし国鉄車両が消え 駅舎や鉄路までがなくなるなか

なぜ蒸気以外の車両や鉄道施設を撮影しなかったのか 悔やまれる

かつて北海道のどこにでも見られたキハ22もそのひとつ

写真はたまたま常紋信号所で撮影した峠を下るキハ22

凍てつく手動のドアを 足でバンバン蹴って開けたことも懐かしい



石北本線 キハ22



後方にスイッチバックからトンネルに向かうD51の重連が見える



minolta
石北本線 常紋信号所
1970年(昭和45)12月28日 撮影

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  1. 2018/02/13(火) 12:12:29|
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65がいた時代 雪の山手貨物線






ほんの少しの積雪でも「大雪」となる首都圏

なかでも1984年は 1月5回 2月10回と連日雪が降り続いた年

このため原宿 新大久保 池袋など 各地で山手貨物線を撮影している

当時はまだたくさんの貨物列車や荷物列車が走っていた時代

いまや山手貨物線ではなく埼京線 貨物もほとんどみかけなくなった



EF651114 山手貨物線



ところで来週の日本列島は 大荒れの天気になるという

所によって大雪 猛吹雪 東京も月曜日は雪の予報だ

交通機関が乱れなければよいのだが



Nikon
EF651114
山手貨物線 新大久保
1984.1. 撮影

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  1. 2018/01/20(土) 18:28:54|
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キハがいた風景 鹿児島本線






1968年から1973年まで 新大阪と西鹿児島を結んだ気動車特急「なは」

新大阪~小倉間は 特急「日向」を併結し13両編成で山陽路をひた走り

鹿児島本線内は6両編成となって西鹿児島をめざした



鹿児島本線 特急「なは」



この夏は中学生になってのはじめての一人旅

鹿児島も近い東シナ海をのぞむ土地で蒸気を狙った そのときに撮影した一枚

貴重なスライドフィルムを使ったのは 海の美しさとキハ82が大好きな車両だったからだろう

それにしてもまだ中学3年生 思えば遠くにきたものだ



鹿児島本線 キハ82系
1970年(昭和45)夏
MinolutaⅡ + 50㎜f2.0
FUJICHROME

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  1. 2018/01/17(水) 19:59:03|
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キハのいた風景 羽越本線 1971年






1両か2両で走る現代の気動車と違い

かつての気動車は長い編成を組んでいた

しかもその多くは型式の異なる車両の寄せ集め

しかしそこがまた気動車のおもしろさでもあった



1羽越本線



1971年(昭和46)7月下旬

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  1. 2017/11/29(水) 00:07:27|
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キハのいた風景 山口駅






今年は久しぶりに山口行きを計画していたが 周南市止まり

予算はあるのだが スケジュールがいっぱいで身動きがとれない

来年こそはどこかに組み込んで出かけたい



山口線山口駅



写真は35年ほどむかしの山口駅

乗客の足があがった瞬間を狙った一枚

駅構内はいまもあまりかわらないかな



鉄道コム


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  1. 2017/11/26(日) 00:26:48|
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追憶の油須原駅舎






油須原と書いて ゆすばる と読む

蒸気を追いかけていた10代の頃 何度 この駅に降り立っただろう



油須原



フィルムを節約しながら撮影していたあの頃

どこにでもあった木造駅舎にレンズを向けることはなかったが

なぜか油須原は 駅名表示や駅舎を撮影している

有名な蒸気撮影の名所であったことから 記念にでもと思ったのかもしれない

そのころの駅舎が いまも現役で使われているというから驚きだ

こあらまさんが現在の駅舎を紹介されている

ただ どうも記憶のなかの駅舎と違う  そう思って調べて見たら

2014年頃に建物内の駅務室を新たに造って古風な趣きに改造し

その後も屋根などを修理している

正面の引き戸の上にあった明かり窓も撤去され 横板もかえている

何かきちんとした記録があって復元したのなら良いのだが

古い駅舎を再利用して観光用に改造したとしたら困ったことだ

少なくともどこをどう直したのか その根拠とあわせて平成筑豊鉄道は公表すべきだろう

この駅舎 ネットでは1995年(明治28)の開業当時の駅舎だとか

九州最古の駅舎だといった根拠もない話が広く流布しているが

古風な趣きにしてしまったことで このての話がさらに拡散されそうだ

歴史的建造物は きちんと調査補修して後世に残すべきで 安易に手を加えるべきではない

長い歴史を刻んできた油須原の駅舎 一部に当時の部材が残っているかもしれないが

ここまで安易な改造をしてしまっては 文化財としての価値は無きに等しい

平成筑豊鉄道は なんともったいないことをしたのだろうか



油須原




CANON FT
田川線 油須原駅
1974年(昭和49)12月初旬 撮影


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  1. 2017/06/25(日) 15:39:15|
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国鉄解体の日






1987年4月1日 午前零時

さまざまな政治的な思惑(国労・総評・社会党潰し)と一部の金儲けのために

百年以上も続いた栄光ある「日本国有鉄道」が政府によって解体された



日本国有鉄道 本社ビル



たしかにJRの発足によって 都市部ではサービスは向上したかもしれない

しかし 国鉄解体から30年たったいま 地方はどうなったか

全国一律の賃金体系は崩壊し 不公平差は拡大した

列車本数は大幅に削減され 駅は無人化されて 路線の廃止も進む

なかでも北海道の鉄道網は もうズタズタだ

産業構造が変化し 人口が減少するなか

もともと体力が弱い北海道や四国などを別会社に分割すればどうなるか

そんなことは すぐに予測できたことだった

道路には税金をぶちこんで 鉄道は儲かる路線以外は潰していく

廃止を届出制に改悪した鉄道事業法の変更も大きかった

最大の目的とされた巨額の債務も解消できていない

効率化と利潤追求を生み出した分割民営化は 大きな失敗であった



日本国有鉄道 本社ビル



旅の楽しさも 大きく損なわれた

鈍行の長距離列車 急行列車 夜行列車も廃止され 旅費の負担は増した

若者に人気だった周遊券もつぎつぎと消え あっても日数が大幅に縮小された

鉄道がもつ利便性や楽しさを奪っては もはや廃れるだけだろう

昨年 一部が廃止された留萌線は 線路沿いに学校 病院 自衛隊駐屯地がある

その前に乗降場を作り 利便性のあるダイヤを組めば乗車率はあげられただろう

地域密着による鉄道再建と言いながら どこまで本気なのか

災害が起きれば 放置して廃止の機運が高まるのを待つ

廃止ありきでつき進むJRは もはや鉄道事業者として失格である

技術系を中心に100人も離職したJR北海道は これからどう安全を維持していくのか

明日はJR発足の30年を祝うイベントが各地で予定されているが

つぎの10年 どれだけの鉄路が残っているだろうか

公共交通機関である鉄会社は 効率化と利潤追求だけで動いてはならない

高齢化社会に向かう日本 だからこそ鉄道の価値をもう一度見いだすべきだ



日本国有鉄道 本社ビル



あれから30年 若かった自分も還暦をすぎ 高齢化社会の仲間入りをしつつある

振り返れば 国鉄最後の日は 山口線で 日章旗をつけた蒸気とともにすごしていた



山口線



そのC57 1号機も 今年で80歳の高齢だ

部品の取り替えで 羽越時代の1号機とは 中身が違うが 魂は受け継いでいる

復活蒸気のなかで 唯一 現役時代の魅力を感じられる山口線

これからも元気で活躍してほしい

今年は30年ぶりの再会も計画している



山口線



山口線でC57の僚輝だったC56 160号機は

国鉄最後の日 深夜の汐留で汽笛を鳴らした

その汽笛は 新しい門出を祝うものではなく 悲しみに満ちた汽笛に聞こえた

そのC56も 山口線の運用からははずれるようだが まだ元気な身

もう一度 四国か ふるさとの能登で活躍してもらえないだろうか

そのときは鉄道ファンは 車ではなく 鉄道を利用して撮影に出かけてほしい




日本国有鉄道 本社ビル
山口線 徳佐 仁保~篠目
山口線のみ 1987.3.31. 撮影


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  1. 2017/03/31(金) 18:23:01|
  2. 栄光の日本国有鉄道
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