光と風のなかへ & 追憶の鉄路

餓死する「英霊」たち






けさもまた数名が昇天する

ゴロゴロ転がっている屍体にハエがぶんぶんたかっている

どうやらおれたちは人間の肉体の限界まで来たらしい

生き残ったものは全員顔が土色で

頭の毛は赤子のウブ毛のように薄くぼやぼやになってきた

黒髪がウブ毛に いつ変ったのだろう

体内にはもうウブ毛しか生える力が 養分がなくなったらしい

やせる型の人間は骨までやせ 肥る型の人間はブヨブヨにふくらむだけ

歯でさへも金冠や充填物がはづれてしまったのを見ると

ボロボロに腐ってきたらしい 歯も生きていることをはじめて知った

このころアウステン山に不思議な生命判断が流行り出した

限界に近づいた肉体の生命の日数を統計の結果から 次のやうにわけたのである

この非科学的であり 非人道的である生命判断は決してはずれなかった

立つことの出来る人間は  寿命は三〇日間

体を起して坐れる人間は  三週間

寝たきり起きられない人間は  一週間

寝たまま小便をするものは  三日間

ものいはわなくなったものは  二日間

またたきしなくなったものは  明日

ああ 人生わずか五〇年といふことばがあるのに

おれはとしわずかに二二歳で終わるのであろうか

(小尾靖雄「人間の限界―陣中日誌」『実録太平洋戦争』第2巻より)


この記録は小尾)靖夫少尉(川口支隊歩兵124聯隊旗手)が残した戦場の実態だ

ガダルカナル戦では戦死者約5000人に対し 餓死者は約1万5000人

餓死する「英霊」たち それはガダルカナルに限らず 各地の戦場で見られたことだった

「めくれあがる皮膚の匂い 散らばる内蔵の匂い 腐りゆく自分の匂い」(「野火」より)




富士裾野における野外教練(1941~42年頃)

富士裾野における野外教練(1941~42年頃) 寄贈アルバムのモノクロ写真を複写 カラーに変換
1943年に卒業した彼らたちは各地の戦場に召集された 特攻で戦死したもの 中国戦線で戦ったもの このなかの何人が生き残れたのだろう




戦争をはじめるのは大人たち そして戦場で死ぬのはいつも若者 

若い人たちは とくにこのことを覚えておいてもらいたい


2016.8.15.



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  1. 2016/08/15(月) 01:15:35|
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原爆投下目標点 京都 梅小路機関区






あまり知られてはいないが 京都は原爆投下の第一目標だった

1945年5月10日と11日に開かれた第2回目標選定委員会の会議記録を記す

極秘文書には つぎのように記されている




マンハッタン計画極秘文書より




「 (1)京都――この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。

それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、

現在では多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。

心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、

そこの住民は、この特殊装置のような兵器(原爆)の意義を

正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある。〔AA級目標〕」


このように 京都は「AA Target」 最有力目標だった

投下目標点は 梅小路機関区




マンハッタン計画極秘文書より




大型蒸気の機まわしもできた大きな転車台と扇形機関庫は

1万mの上空からでも目立ったことだろう




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




だが 京都は占領政策とのからみで目標から一時除外された

これによって京都と同じ「AA級目標」とされた広島が第一目標に浮上し

京都にかわって 長崎が目標都市に新たに選定された

これに関しては ブログの「原爆投下目標 京都」を参照




しかし もし梅小路に原爆が投下されていたら どうなっていただろう

広島は 10秒で衝撃波に飲み込まれ 10秒で破壊されたという


『原子爆弾災害調査報告書』によると 投下直後の状況はこうだ

「広島では、爆心直下を中心とし、だいたい径2キロメートルまでの地域内では、

木造家屋はまったく崩壊し、かつ全く焼失した。

堅牢なコンクリート建物はだいたいにおいて崩壊はしなかったが、

窓は全部吹き飛ばされ、内部はことごとく焼失した。

家屋の焼失は、家屋の崩壊のために二次的に起ったとの観察もあるが、

土木建築科会の調査の結果から、爆心直下から六三〇メートルヘの地点へは

摂氏約二、〇〇〇度の熱が到達したと推定せられるので、

半径一・八キロメートルの円周圏内では輻射熱の直射によって、

一次的に火災発生の可能であることが充分に想像し得られると思う。

広島では更に二キロメートルないし四キロメートルの圏内は、

木造家屋はその距離に応じて、全壊または半壊したが火災は起らなかった。

窓ガラスの破損は遠く一六キロメートル以上の地点まで及んでおり、

樹木への影響は二〇キロメートル程度、

爆風を感じたのは六〇キロメートル辺までも及んでいる。」

(『広島原爆戦災誌』1971年広島市発行)


これを京都にあてはめれば 北は本願寺 四条烏丸はもちろん

京都府庁や二条城 京都御苑の南側あたりまでが潰滅

東は 八坂神社 清水寺 三十三間堂 東福寺などが潰滅となる




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




71年目の「Hiroshima」は 猛暑の土曜日

梅小路機関区の跡地に作られた京都鉄道博物館も

たくさんの子供たちで にぎわっていることだろう




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




ただここを訪れる大人かたたちは

ここが原爆投下の第一目標だったことを

ぜひ知っておいてもらいたい

転車台の近くで空を見上げて

平和の大切さをあらためて感じとってもらいたい


2016年8月6日




京都鉄道博物館
2016.7.23.撮影

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  1. 2016/08/06(土) 15:06:52|
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74年目の12月8日






米英蘭に対する開戦記念日ということで

関連記事を書こうと思ったが

明日の準備に追われて時間がない

このため だいぶ昔に撮影した写真から

真珠湾のアリゾナ記念館にある慰霊の銘板




真珠湾 アリゾナ記念館




ただし真珠湾作戦は「対米英蘭戦争帝国海軍作戦計画」にある

「第一段作戦に於ける全般の作戦要領」では六番目

最重要作戦は 真珠湾への奇襲直前に実施された

マレー半島コタバルへの上陸作戦だ




Nikon
1998年.撮影

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  1. 2015/12/09(水) 00:18:22|
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なんというか 脱力感






共同通信社 44.2% 37.0%

産経新聞社 57.3% 31.1%

読売新聞社 48%  34%

朝日新聞社 40%  31%


いずれも戦後70年にあたって

安倍くんが発表した談話に対する

各社報道機関による世論調査の結果だ

左が「評価する」 右が「評価しない」


安倍くんのお友達の産経と読売の「評価」が高いのは当然として

談話をバッサリ斬った朝日ですら高いことに しばし愕然


国民はあの談話をきちんと読んだのか

文章の構造とカラクリをきちんと理解したのか

「敵として熾烈に戦った」のが「米国 豪州 欧州」であって

中国が抜け落ちていることに 何も違和感をもたなかったのか


談話を好意的に受け止めた人が多かったため

内閣支持率も少し回復した


共同通信社 43.2%(前回37.7%)

産経新聞社 43.1%(前回39.3%)

読売新聞社 45%(前回43%)

朝日新聞社 38%(前回37%)


いまごろ安倍くん 国民を騙すなんて簡単だよと にんまりしているだろう

談話に関しては 先日 出来の悪い学生のリポートと評価したが

考えて見ると 学生のリポートも A評価は 全体の1割未満

3割以上は いつも不合格 この学力格差は 年々開くばかりだ

それを考えたら 世論調査の結果も妥当なものか


戦争を引き金を引くのは支配者だけれど

それを許すのは いつの時代も どこの国でも 国民だ

だから危機感をもって 国民の知的レベルを上げなければ

大変なことになる しかし これが一番 難しい




多摩川花火大会 2015




ところで話題はがらりとかわるが 2017年度の大河は

戦国の女領主 井伊直虎を柴咲コウが演じるという

知名度は低いが 目の付け所といい

主役を気の強そうな柴咲コウにしたところは 期待度大

戦国ものが連続するが 久々のヒット作になる予感

監修は また小和田さんかな

これから浜名湖の北側は にぎわいそうだ




Nikon
2015.8.22.撮影

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  1. 2015/08/25(火) 17:08:26|
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「挑戦者」なのか―70年目の敗戦の夏に考える






「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」

この4つのキーワードだけは言いたくない

しかし 言わなかったら内外から批判を浴びる

そのことで これ以上 支持率が下がったら

審議中の戦争法案に大きな支障がでる

そこで言葉は入れるが 自らの意見としては語らない

有識者懇談会を「歴史の声」という形にして

自分はイヤだったけれど しかたなく受け入れた

そんな印象が強く残った安倍くんの戦後70年談話だった


安倍くんとしては ぎりぎりの妥協点だったのだろう

政権に対する女性の批判が強いことを意識したのか

「女性たちの心に常に寄り添う国でありたい」との言葉も挿入された

「罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実」

「自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去」といった言葉を書き連ね

村山談話・小泉談話を踏襲する姿勢を明確にしたうえで

「これからもゆるぎない」と宣言したことは 一応は評価してもよいだろう


「謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ未来へと引き渡す責任があります」

この言葉も 過去をどう受け継ぐかが問題なのだが 趣旨には賛同したい

「和解のために力を尽くしてくださった すべての国々 すべての方々に

心からの感謝の気持ちを表したい」と明記したところも評価してよいだろう


このように安倍くんが村山談話の上書きをめざしながらも 

最後は 安倍カラーを抑制せざるを得なかったのは

安倍批判を強める多くの国民の声にたじろいだからだ

国民を舐めるとどうなるか 安倍くんも少しは自覚しただろう


しかし 戦後70年にふさわしい談話になったかと言えば 否だ

何より焦点がぼけてしまったため 村山談話から後退してしまった


たとえば「戦時下 多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけ」とあるが

いったい誰が 彼女たちの尊厳を傷つけたのか

「戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さん」とはあるが

いったい誰が 中国人に苦痛を与えたのか

いずれも主語が巧妙にぼかされている 


「中国人の皆さん」のあとに続けて

「日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜」とあるが

なぜこの「日本軍によって」を「中国人の皆さん」の前にもってこないのか

しかも 日本軍によって苦痛を受けた元捕虜とは

「米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜」とあることから

「苦痛を受けた元捕虜」が 彼らをさすことは明白だ

欧米への行いには日本軍の横暴をきちんと明記するが

中国や朝鮮半島の人々へは あいまいな形にする

いかにも安倍くんらしい書き方だ


また戦争被害者に思いをよせる大切さを述べたうえで

それを「心に留めなければなりません」としながら

なぜ引き揚げや残留孤児の話題になるのか 意味がわからない

むしろこの部分の冒頭に さきほどの

「罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた」こと

という一文をを明記すべきだった


このように 安倍くんの談話は 文章の配列をかえて

主語を明確にすれば 良い談話になった

しかし 意図的に焦点をぼかしたために

文章は長いが 中身のうすい内容になってしまった

まさに出来の悪い学生のリポートを読んでいるようだ

したがって村山談話を越えて 歴史に残ることはないだろう


その点 村山談話は 歴史の事実にきちんと向き合っていた


わが国は 遠くない過去の一時期 国策を誤り

戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ

植民地支配と侵略によって、多くの国々

とりわけアジア諸国の人々に対して

多大の損害と苦痛を与えました


この村山談話にある「国策を誤り」という言葉も

(英文は「following a mistaken national policy」)

安倍くんは 「進むべき針路を誤り」と書き換えている

(英文は「Japan took the wrong course」)

そればかりか 日本が「針路を誤」った背景として

世界恐慌を契機とする欧米諸国によるブロック経済をあげ

そのことで日本が追いつめられた という文章になっている

ここは「日本の侵略」を認めたくない安倍くん特有の

誤った歴史認識がよくあらわれている


資源・市場・資金を米英に大きく依存していた当時の日本では

すでに二つの路線が存在し その間で揺れ動いていた

ひとつは 対米協調路線

彼らは 米英との協調を保ってこそ日本の将来があると考え

対中国政策も経済進出による拡大を重視すべしと主張していた

これに対峙していたのが 英米対決路線である

彼らは米英に対する依存を克服しなければ日本の将来はないと考え

アジアでの自給自足圏の建設をめざし

対中国政策では軍事力の行使も辞さずと主張していた


このうち世界大戦後の1920年代は協調路線が主流だったが

世界恐慌(1929)を機に 反米英的・現状打破路線が急成長する

そしてワシントン体制への打破を叫ぶようになっていくのだ
          

ただし この異なる二つの路線も

満蒙の特殊権益を擁護し ソ連を敵視する点では

共通した考えをもっていたことを見落としてはならない


だから中国で北伐と国権回復の動きが高まると

日本は山東地域に対して軍事力を行使し(1927~28年)

満州占領をめざして張作霖の爆殺(1928年)まで強行した

いずれも世界恐慌(1929)が起きる前の出来事である


こうした安倍くんの誤った歴史認識は

日露戦争の評価にもあらわれている

談話のように 方向性を誤り 敗戦に至るプロセスで語るならば

日露戦争の勝利を賞賛するのではなく

日露戦争によって日本は大陸に足かがりを築き

その後の大陸侵略の方向性を形づけた と明記すべきだろう


「新しい国際秩序」への「挑戦者」(a challenger)もいただけない

「挑戦者」の言葉は談話のなかで2回も使っているが

ワシントン体制の打破をめざしたのだから

ここは「破壊者」(a destroyer)でなければならない


安倍くん 「歴史に謙虚でなければなりません」と言いながら

談話の内容に それが反映されていない


村山談話にあった近現代史における「歴史研究を支援」する言葉

小泉談話にあった「平和を志向する教育」を希求するという言葉

こうした研究や教育に関する言葉も 安倍くんの談話からは消えてしまった

戦前の教育を反省し 平和を志向する教育をめざす

ここは とても大切なところだが

戦後の歴史教育に批判的な安倍くんとしては 言いたくないのだろう


そのかわり 安倍くんは 戦争を知らない世代には

「謝罪を続ける宿命を背負わせ」ないと明言した

しかし 本当にそう思うなら まずは 歴史に真摯に向き合い

誠意ある態度で相手の気持ちに寄り添うことが大切ではないか

「心からのおわび」を明記した村山談話が出されたあとも

歴史に真摯に向き合わない政治家が問題発言をくり返し

安倍くんのように村山談話や教科書をを批判するものがいるから

日中関係や日韓関係は いっこうによくならないのだ

安倍くんは そこのところをしっかりと自覚する必要がある


そのためにも 今回は安倍くん自身の言葉で

4つのキーワードを入れた談話をきちんと出すべきだった

それがイヤなら 出さなければ良かった

あるいは 本音を語って あちこちから集中攻撃を浴び

ついには退陣を迫られる というシナリオも ありだったかな


そんななか 談話をよく読むと 村山談話には明記されたが

小泉談話では弱められた表現が復活している

それが「核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し」という一文だ

しかし 安倍くん 核武装論者だったよね

いくら平和主義者を装っても 戦争法案の成立をめざす以上

国民は 簡単にはだまされないよ


そんななか 全国戦没者追悼式において 天皇は

みずからの「お言葉」として「さきの大戦に対する深い反省」を述べ

「反省」を口にしない 安倍くんとは一線を画した

そればかりか 天皇は 日本が国民のたゆみない努力と

「平和の存続を切望する国民の意識」に支えられて

平和と繁栄を築いたとも述べられている


戦争の惨禍を経験し 平和憲法の大切さを自覚されている天皇は

昨今の右傾化する日本に 相当な危惧をいだかれているのだろう

それは しばしば発せられる「お言葉」からひしひしと伝わってくる

国民にたえずメッセージを送っているのだ

戦争法案の可決をめざす安倍くんは

そのあたりをきちんとわかっているのかな




8月15日の空

敗戦から70年目の空 FUJIFILM X20 ダイナミックトーン



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  1. 2015/08/15(土) 15:56:09|
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『レッドクロス 女たちの赤紙』の印象 完結編






TBSテレビ60周年企画番組 『レッドクロス 女たちの赤紙』

この番組は これまであまり注目されてこなかった

日赤救護看護婦(従軍看護婦)に光をあて

彼女たちが男たちと同じように赤紙で召集されたこと

さらには満州で活動した従軍看護婦をモデルとしたことで

敗戦後もなお現地にとどまって医療に従事した人々がいたことを

多くの人たちに知らしめたという点で 戦後70年にふさわしいドラマだった




レッドクロス

TBS 公式HPより転載



もちろんドラマ故に 軍国少女のカケラも感じさせない松嶋菜々子など

違和感も多々あったが 敗戦後 八路軍の看護婦となって活動したこと

そのなかで軍国主義の呪縛から解き放つための教育がおこなわれたこと

朝鮮戦争のときも赤紙で召集された日赤の看護婦がいたことなど

フィクションとはいえ 随所に史実をふまえながらの物語を展開させ

とくに敗戦後の姿を描いた第二夜は しっかりと作られていたと思う


日本の残留孤児たちを売る日本人 そんな孤児たちを助ける中国人

その一方で子供を日本軍によって殺され 残留孤児を酷使する中国女性

まだまだ不十分さはあるものの 戦争の悲しみが日本人だけのものではないことを

しっかりと描こうとした点は 高く評価すべきだろう


これからのドラマは アジアの人たちの視点をしっかりといれて製作すべきで

日本人の悲しみだけを描いて お涙頂戴という物語は もうやめるべきだ 


ただ欲を言えば あと15分ほど拡大して

中国に残留した彼女たちの帰国後の厳しさも きちんと描いてほしかった

ドラマでも少し描かれていたが 帰国後の彼女たちを待っていたものは

警察による思想調査と日本人の無関心 それに不名誉な憶測だったからだ


帰国者の一人 津村ナミエは こう証言する


警察は 中国で社会主義思想の勉強をしたのかどうか

日本で社会主義革命の運動をするのかどうか

などを知りたがったみたいですね

香川班の仲間で今は栃木にいる友人も

警察に散々来られて困ったと言っていましたね

警察が来たことは すぐに近所中に広まったと言っていた

みんな同じです

田舎に帰ってから四 五日経って 部落に二七軒ある

本家の女性ばかりが集まって歓迎会を開いてくれました

ところがそこで質問されたのが 露助に強姦されなかったか とか

中国に風呂はないと聞くが 風呂はあるのか 入ったか という程度

平和も 民主主義も 中華人民共和国の成立も何もない

日本人には その程度の認識しかなかった

従軍看護婦として満州に送られたのに

そこでの一三年間に 慰労の一つも全くなかった

(中略)

戦後 中国から帰ってきた従軍看護婦は

1953年(昭和28)に帰った者もそれ以降に帰った者も

やっぱり就職が厳しい現実があった

中国から帰った者は アカだ っていう風評みたいものがあって

自分の希望するような大きな病院にはなかなか就職できないんです

政治活動されたりすると困るから

そんな気持ちないのに 看護婦の仕事するだけなのに

とにかく 大きな病院は希望しても無理でした

やっとの想いで仕事についても 中国にいた期間が長いから

歳のわりには給料が低い人が多かった

年金をもらう歳になったら 年金加入期間が短いって言われて

もらえなかったり 少なかったり

結局 中国にいた一〇数年間は 何も保障がないわけ

(川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社 その歴史と従軍証言』文理閣)



従軍看護婦は 赤紙で召集されたのにもかかわらず

戦後 兵隊と違って 国からも 日赤からも 保障が出なかった

従軍看護婦は あくまでも「志願」とされたからである

その後 「従軍看護婦の会」による粘り強い運動の結果

わずかばかりの慰労給付金を勝ち取るが 兵隊との違いは大きい

これに関して津村ナミエの怒りは 本質を突いている


兵隊さんには恩給が出て 毎年上がるんです

でも私らには何もない 慰労給付金が少しだけ

政府が真剣に戦争を反省していないことですよ

それと女を軽視していますよ

(川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社 その歴史と従軍証言』文理閣)



こうしたなか従軍看護婦とは 何だったのか

そのことを戦後 ずっと考え続けた女性がいた

満州に派遣され 敗戦後も八路軍のもとで活動した石田寿美恵だ

彼女の出した答えに 従軍看護婦の本質が示されている

 
今思うとね 病気になったのを治療して

再び人を殺して自分も死ぬ可能性のある前線へ

送り出す仕事だったと思いますね

私たちの仕事は 治療して

ああ元気になった 勇ましく原隊復帰できる

おめでとう って送ったんですけどね

看護をすることが われわれの看護が

また死の前線へ送るわけでしょ

戦場に行って命を投げ出しなさい

そのために一所懸命あなたを助ける

これは矛盾してますよね

やっぱり戦争っていうものが

どんなに無意味なもので罪深いものか と思います

(NHK戦争プロジェクト『証言記録 兵士たちの戦争③』NHK出版)



石田寿美恵は 戦後は 医師がいなかった

被差別部落の無医地区の看護婦として働いた

差別によって 医療も受けることもできない

貧しい人たちの暮らしを支え続けた

多くの死をみつめ続けた石田なりの選択だったのだろう


従軍看護婦たちが経験した戦争

アジア太平洋戦争で日赤が派遣した「救護看護婦」は960班

延べ人数3万1450名(婦長1888名、看護婦2万9562名)にも及ぶ

このうち1118名のかたが命をおとし 4476名のかたが罹病された


命を助ける看護婦が 戦争に駆り出される

そんな時代はもう二度とあってはならない

全日本赤十字労働組合連合会も 7月13日

ふたたび白衣を戦場の血で汚さないために

「戦争法案」を廃案にし平和憲法を守りぬこうという特別決議を採択している


*                 *


『レッドクロス~女たちの赤紙』の印象

思いがけず 7回にもわたる連載になりましたが

従軍看護婦の存在を知るきっかけになれば うれしく思います

今夜13日午後10時00分からは NHKスペシャルでも

『女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~』が放送されます

ぜひご覧になって さらに理解を深めて下さい


今回のドラマには「名も知らぬ花のように」という曲が使われていました

2011年3月11日に起きた東日本大震災を契機に

加藤登紀子さんが詩を書き 娘さんのyaeさんが作曲したとのこと

命を繋ぐ という意味で ドラマにふさわしい歌だったと思います

ユニセフのCMに使われたそうですが 生まれてきた大切な命

日本がふたたび戦争のできる国にならないように

大人たちは 心して行動していかなければなりませんね  








  1. 2015/08/13(木) 17:13:26|
  2. 戦争を語り継ぐ
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『レッドクロス 女たちの赤紙』の印象 06






敗戦から70年をへた現在もなお 戦傷病者がいる

九州では49名 このうち14名が結核 6人が精神疾患だという

(2015年8月11日 西日本新聞)

戦争は 肉体だけではなく 心も傷つけていく


従軍看護婦の証言記録のなかにも精神を病んだ兵士が出てくる


病院船で働いた守屋ミサによると

「どの航海でも約1割の精神疾患者がいた」という

戦争の恐怖 罪悪感 異常な軍隊生活や

マラリア デング熱などの高熱による発病が多かった

(守屋ミサ『従軍看護婦の見た病院船・ヒロシマ』農山漁村文化協会)


「俺は殺した殺した 人を殺した」とか言って叫んで

非常に凶暴性があって暴れるんですね

それで個室に入れても 鍵かけて入れるんですけど

もう全身でぶつかって鍵を壊すんです

それで太いかんぬきをして それでも開けようとして

もう青くなるくらい全身でぶつかって

外へ出せ出せって どなったりしてましたね。

(中略)

精神病の患者さんは非常に自殺の恐れがあるんです

だから船底に入れるんですけども

甲板へ出て海に飛び込まないかって

そういうことの予防の緊張感のほうが強かったですね

で 必ず甲板に出るところに立ってね

看護婦が付き添って甲板に出るとかね

もう自由に甲板に出せなかったです

両脚のない人が 夜 

壁によりかかって涙流しながらうつむいてるんです

どうしたんですかって言ったら 

もう内地に帰りたくないって こんな体で

海に飛び込みたいけど両脚がなくて甲板にも行けないから

それもできないって涙ぼろぼろこぼしてました

それで「奥さんは生きて帰ってきただけでも喜ぶんですから」

って慰めたことありますけどね。

(NHK戦争プロジェクト『証言記録 兵士たちの戦争③』NHK出版)



戦争と精神疾患に関しては 清水寛の研究がある

清水によると 戦時中に精神に障害を負った軍人軍属の多くは

千葉県市川市の旧国府台陸軍病院に送られたという

名誉の負傷とたたえられた兵士とは違い

精神障害は恥とされ その数は約1万450人に上る


最近も 米軍の帰還兵士を扱った

『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)が注目されたが

戦争では 精神疾患の患者が大量に発生する

戦争法案が可決されれば 自衛隊員の自殺者も増加するだろう

だからこそ 同じ過ちをくり返さないためにも

戦争と精神障害の問題は さらに深く研究していく必要がある


ドラマ『レッドクロス』でも 人々の関心を呼び起こすために

こうした場面を扱ってもよかったと思うが

家族の物語を縦軸にすえたためか

肝心の看護活動の場面がやや少なかったのは残念なところ

病棟も綺麗で この点はリアル感に欠けていた


ルソン島中部で看護活動を続けていた奥村モト子は

治療にウジ虫まで使わなくてはならなかったという


「ウジ療法」っていうんよね

暑いところでは傷口にすぐウジがわくんですよ

ウジは血液や膿(うみ)やら汚いものが好きで

それを食べてくれるから ガーゼやら包帯が少ないと助かるわけですよ

ウジ虫を傷口に飼っておけばきれいにしてくれる

まだウジのわいてない人に

ウジ虫置いておくと傷がきれいになるわけ

だけど そのウジ虫が傷を食べ尽くすと

今度は筋肉を食べるから痛いのね

それで患者さんが 看護婦さーん

早くウジ虫取ってくださーい ってあちこちで呼ぶのよ

患者さんの下着 シャツやらを切って包帯の代わりにしたり

バナナの葉をおしめカバーにしたり 衛生材料が不足してるから

なんぼ治療してあげたくてもできない それは情けなかったねえ

(NHK戦争プロジェクト『証言記録 兵士たちの戦争③』NHK出版)


後先も考えず戦場を拡大した結果 補給が追いつかず

待っていたものは 医薬品の欠乏と飢え


しかし ウジが湧くのは 南方戦線の話だけではない

中国の済南で看護活動にあたった小林清子も こう証言する


ガス壊疽患者はもちろん 重傷患者の傷口からは蛆が這い出る始末

(『従軍看護婦たちの大東亜戦争』祥伝社)


中国大陸で戦傷外科に勤務した肥後喜久恵は

全身火傷で包帯に包まれた患者の口にウジがはいり

そのたびに プップップッとそれを出す音がしたという


また大腿骨を切断した患者の切り口にウジがたかり

それをピンセットで挟むと肉まで挟んでしまうので こんな方法を編み出した


手術室に行ってクロロホルムという麻酔薬を持ってきて

ガーゼに浸して そのガーゼをバッーと傷にあててみたの

そしたらウジが麻酔にかかるのね それで ガサッガサッてウジが落ちた

それぐらいたくさんのウジがいるの

(中略)

シラミはもっといっぱいいました

患者の着物を脱がせて ドラム缶の中でお湯で煮て消毒します

ドラム缶の水を捨てるときに 升ですくえるほど

シラミが下にたまっているんです

それから 患者さんが死にそうになると

その人の体温が下がり始めるでしょ

そうすると シラミがまだちょっとは息のある温かい人のほうに

ゾロゾロと這っていくの

(川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社 その歴史と従軍証言』文理閣)



先日も紹介したように 蘇州陸軍病院に勤務していた

三浦賢子も 当時の状況をこう語る


赤痢患者は便器をあてがう暇もない

ほとんど垂れ流しであった

銀蠅は空襲のごとくブンブンと群がり

病室は糞尿の臭いと銀蠅でいっぱいだった

(『従軍看護婦たちの大東亜戦争』祥伝社)


いまの若者は ウジというものは知っていても

本物を見たことがないものがいる

ウジにたかれる様子など想像できない

ドラマゆえにあまりにリアルな表現は避けたのかもしれないが

ナレーションを活用して 劣悪な病棟の状況を再現してほしかった

泥まみれで死んでいく ウジまみれで死んでいく

それがゲームの世界とは異なる 本当の戦争なのだから




氷川丸

横浜の山下公園に繫留されている「氷川丸」も
太平洋戦争では赤十字のマークを煙突と舷側に大きく描き
南方の島々からの傷病兵を日本へ運ぶ病院船となって活躍した
しかし 病院船に配属された従軍看護婦たちの勤務は
「みんな血を吐きながら勤務する」(岡田禎子)と言われたほど苛酷なものだった
なかには「ぶえのすあいれす丸」のように撃沈された病院船もあった

2009.7.31.撮影 RICOH GX200



(次回 完結編に続く)



8月13日(木) 午後10時00分から NHKスペシャルで

『女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~』が放送されます

日赤でみつかった業務報告書と証言をもとに構成された番組

ぜひご覧になって ドラマとは比較にならない苛酷な活動を知ってください



  1. 2015/08/12(水) 23:50:21|
  2. 戦争を語り継ぐ
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