光と風のなかへ & 追憶の鉄路

8月9日 72年目の夏 iPhone






暑い バス停に立っているだけで汗が出てくる

太陽があたる背中はカチカチ山状態

9日の都心の最高気温 37.1℃(12:14) 湿度50%

体感的には40℃を越えているだろう

慰霊の日にあたる長崎も 30.0℃(12:29)の真夏日

今年も 長崎の平和宣言は 広島の平和宣言よりも

ノーモアヒバクシャをめざす強い意志が伝わる内容だった



キャンパス



日本政府に訴えます

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり

核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず

核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を被爆地は到底理解できません

唯一の戦争被爆国として 核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し

核の傘に依存する政策の見直しを進めてください

日本の参加を国際社会は待っています

長崎平和宣言より



iPhone7plus
キャンパス
2017.8.9. 撮影


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  1. 2017/08/09(水) 23:59:09|
  2. 戦争を語り継ぐ
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8月6日 72年目の夏






鋭い閃光がピカーッと走り 凄まじい放射線と熱線 ドーンという地響きと爆風

真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには

男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍

その間をぬって  髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が

焼けただれ裸同然で剝がれた皮膚を垂らし

燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう

目の前の川は死体で覆われ 河原は火傷した半裸の人で足の踏み場もない

このような地獄は 決して過去のものではありません

核兵器が存在し その使用を仄めかす為政者がいる限り

いつ何時 遭遇するかもしれないものであり

惨たらしい目に遭うのは あなたかもしれません

2017年8月6日 広島「平和宣言」より



72年目の空 2017年8月6日




〔関連ブログ記事〕

2011年8月9日 原爆投下目標 京都
2016年8月6日 原爆投下目標点 京都 梅小路機関区


「この世界の片隅に」舞台を巡る すずの見た広島・呉の風景 朝日新聞



FUJIFILM X20
2017.8.6. 撮影


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  1. 2017/08/06(日) 13:51:16|
  2. 戦争を語り継ぐ
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餓死する「英霊」たち






けさもまた数名が昇天する

ゴロゴロ転がっている屍体にハエがぶんぶんたかっている

どうやらおれたちは人間の肉体の限界まで来たらしい

生き残ったものは全員顔が土色で

頭の毛は赤子のウブ毛のように薄くぼやぼやになってきた

黒髪がウブ毛に いつ変ったのだろう

体内にはもうウブ毛しか生える力が 養分がなくなったらしい

やせる型の人間は骨までやせ 肥る型の人間はブヨブヨにふくらむだけ

歯でさへも金冠や充填物がはづれてしまったのを見ると

ボロボロに腐ってきたらしい 歯も生きていることをはじめて知った

このころアウステン山に不思議な生命判断が流行り出した

限界に近づいた肉体の生命の日数を統計の結果から 次のやうにわけたのである

この非科学的であり 非人道的である生命判断は決してはずれなかった

立つことの出来る人間は  寿命は三〇日間

体を起して坐れる人間は  三週間

寝たきり起きられない人間は  一週間

寝たまま小便をするものは  三日間

ものいはわなくなったものは  二日間

またたきしなくなったものは  明日

ああ 人生わずか五〇年といふことばがあるのに

おれはとしわずかに二二歳で終わるのであろうか

(小尾靖雄「人間の限界―陣中日誌」『実録太平洋戦争』第2巻より)


この記録は小尾)靖夫少尉(川口支隊歩兵124聯隊旗手)が残した戦場の実態だ

ガダルカナル戦では戦死者約5000人に対し 餓死者は約1万5000人

餓死する「英霊」たち それはガダルカナルに限らず 各地の戦場で見られたことだった

「めくれあがる皮膚の匂い 散らばる内蔵の匂い 腐りゆく自分の匂い」(「野火」より)




富士裾野における野外教練(1941~42年頃)

富士裾野における野外教練(1941~42年頃) 寄贈アルバムのモノクロ写真を複写 カラーに変換
1943年に卒業した彼らたちは各地の戦場に召集された 特攻で戦死したもの 中国戦線で戦ったもの このなかの何人が生き残れたのだろう




戦争をはじめるのは大人たち そして戦場で死ぬのはいつも若者 

若い人たちは とくにこのことを覚えておいてもらいたい


2016.8.15.



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  1. 2016/08/15(月) 01:15:35|
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原爆投下目標点 京都 梅小路機関区






あまり知られてはいないが 京都は原爆投下の第一目標だった

1945年5月10日と11日に開かれた第2回目標選定委員会の会議記録を記す

極秘文書には つぎのように記されている




マンハッタン計画極秘文書より




「 (1)京都――この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。

それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、

現在では多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。

心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、

そこの住民は、この特殊装置のような兵器(原爆)の意義を

正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある。〔AA級目標〕」


このように 京都は「AA Target」 最有力目標だった

投下目標点は 梅小路機関区




マンハッタン計画極秘文書より




大型蒸気の機まわしもできた大きな転車台と扇形機関庫は

1万mの上空からでも目立ったことだろう




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




だが 京都は占領政策とのからみで目標から一時除外された

これによって京都と同じ「AA級目標」とされた広島が第一目標に浮上し

京都にかわって 長崎が目標都市に新たに選定された

これに関しては ブログの「原爆投下目標 京都」を参照




しかし もし梅小路に原爆が投下されていたら どうなっていただろう

広島は 10秒で衝撃波に飲み込まれ 10秒で破壊されたという


『原子爆弾災害調査報告書』によると 投下直後の状況はこうだ

「広島では、爆心直下を中心とし、だいたい径2キロメートルまでの地域内では、

木造家屋はまったく崩壊し、かつ全く焼失した。

堅牢なコンクリート建物はだいたいにおいて崩壊はしなかったが、

窓は全部吹き飛ばされ、内部はことごとく焼失した。

家屋の焼失は、家屋の崩壊のために二次的に起ったとの観察もあるが、

土木建築科会の調査の結果から、爆心直下から六三〇メートルヘの地点へは

摂氏約二、〇〇〇度の熱が到達したと推定せられるので、

半径一・八キロメートルの円周圏内では輻射熱の直射によって、

一次的に火災発生の可能であることが充分に想像し得られると思う。

広島では更に二キロメートルないし四キロメートルの圏内は、

木造家屋はその距離に応じて、全壊または半壊したが火災は起らなかった。

窓ガラスの破損は遠く一六キロメートル以上の地点まで及んでおり、

樹木への影響は二〇キロメートル程度、

爆風を感じたのは六〇キロメートル辺までも及んでいる。」

(『広島原爆戦災誌』1971年広島市発行)


これを京都にあてはめれば 北は本願寺 四条烏丸はもちろん

京都府庁や二条城 京都御苑の南側あたりまでが潰滅

東は 八坂神社 清水寺 三十三間堂 東福寺などが潰滅となる




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




71年目の「Hiroshima」は 猛暑の土曜日

梅小路機関区の跡地に作られた京都鉄道博物館も

たくさんの子供たちで にぎわっていることだろう




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




ただここを訪れる大人かたたちは

ここが原爆投下の第一目標だったことを

ぜひ知っておいてもらいたい

転車台の近くで空を見上げて

平和の大切さをあらためて感じとってもらいたい


2016年8月6日




京都鉄道博物館
2016.7.23.撮影

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  1. 2016/08/06(土) 15:06:52|
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74年目の12月8日






米英蘭に対する開戦記念日ということで

関連記事を書こうと思ったが

明日の準備に追われて時間がない

このため だいぶ昔に撮影した写真から

真珠湾のアリゾナ記念館にある慰霊の銘板




真珠湾 アリゾナ記念館




ただし真珠湾作戦は「対米英蘭戦争帝国海軍作戦計画」にある

「第一段作戦に於ける全般の作戦要領」では六番目

最重要作戦は 真珠湾への奇襲直前に実施された

マレー半島コタバルへの上陸作戦だ




Nikon
1998年.撮影

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  1. 2015/12/09(水) 00:18:22|
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なんというか 脱力感






共同通信社 44.2% 37.0%

産経新聞社 57.3% 31.1%

読売新聞社 48%  34%

朝日新聞社 40%  31%


いずれも戦後70年にあたって

安倍くんが発表した談話に対する

各社報道機関による世論調査の結果だ

左が「評価する」 右が「評価しない」


安倍くんのお友達の産経と読売の「評価」が高いのは当然として

談話をバッサリ斬った朝日ですら高いことに しばし愕然


国民はあの談話をきちんと読んだのか

文章の構造とカラクリをきちんと理解したのか

「敵として熾烈に戦った」のが「米国 豪州 欧州」であって

中国が抜け落ちていることに 何も違和感をもたなかったのか


談話を好意的に受け止めた人が多かったため

内閣支持率も少し回復した


共同通信社 43.2%(前回37.7%)

産経新聞社 43.1%(前回39.3%)

読売新聞社 45%(前回43%)

朝日新聞社 38%(前回37%)


いまごろ安倍くん 国民を騙すなんて簡単だよと にんまりしているだろう

談話に関しては 先日 出来の悪い学生のリポートと評価したが

考えて見ると 学生のリポートも A評価は 全体の1割未満

3割以上は いつも不合格 この学力格差は 年々開くばかりだ

それを考えたら 世論調査の結果も妥当なものか


戦争を引き金を引くのは支配者だけれど

それを許すのは いつの時代も どこの国でも 国民だ

だから危機感をもって 国民の知的レベルを上げなければ

大変なことになる しかし これが一番 難しい




多摩川花火大会 2015




ところで話題はがらりとかわるが 2017年度の大河は

戦国の女領主 井伊直虎を柴咲コウが演じるという

知名度は低いが 目の付け所といい

主役を気の強そうな柴咲コウにしたところは 期待度大

戦国ものが連続するが 久々のヒット作になる予感

監修は また小和田さんかな

これから浜名湖の北側は にぎわいそうだ




Nikon
2015.8.22.撮影

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  1. 2015/08/25(火) 17:08:26|
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「挑戦者」なのか―70年目の敗戦の夏に考える






「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」

この4つのキーワードだけは言いたくない

しかし 言わなかったら内外から批判を浴びる

そのことで これ以上 支持率が下がったら

審議中の戦争法案に大きな支障がでる

そこで言葉は入れるが 自らの意見としては語らない

有識者懇談会を「歴史の声」という形にして

自分はイヤだったけれど しかたなく受け入れた

そんな印象が強く残った安倍くんの戦後70年談話だった


安倍くんとしては ぎりぎりの妥協点だったのだろう

政権に対する女性の批判が強いことを意識したのか

「女性たちの心に常に寄り添う国でありたい」との言葉も挿入された

「罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実」

「自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去」といった言葉を書き連ね

村山談話・小泉談話を踏襲する姿勢を明確にしたうえで

「これからもゆるぎない」と宣言したことは 一応は評価してもよいだろう


「謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ未来へと引き渡す責任があります」

この言葉も 過去をどう受け継ぐかが問題なのだが 趣旨には賛同したい

「和解のために力を尽くしてくださった すべての国々 すべての方々に

心からの感謝の気持ちを表したい」と明記したところも評価してよいだろう


このように安倍くんが村山談話の上書きをめざしながらも 

最後は 安倍カラーを抑制せざるを得なかったのは

安倍批判を強める多くの国民の声にたじろいだからだ

国民を舐めるとどうなるか 安倍くんも少しは自覚しただろう


しかし 戦後70年にふさわしい談話になったかと言えば 否だ

何より焦点がぼけてしまったため 村山談話から後退してしまった


たとえば「戦時下 多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけ」とあるが

いったい誰が 彼女たちの尊厳を傷つけたのか

「戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さん」とはあるが

いったい誰が 中国人に苦痛を与えたのか

いずれも主語が巧妙にぼかされている 


「中国人の皆さん」のあとに続けて

「日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜」とあるが

なぜこの「日本軍によって」を「中国人の皆さん」の前にもってこないのか

しかも 日本軍によって苦痛を受けた元捕虜とは

「米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜」とあることから

「苦痛を受けた元捕虜」が 彼らをさすことは明白だ

欧米への行いには日本軍の横暴をきちんと明記するが

中国や朝鮮半島の人々へは あいまいな形にする

いかにも安倍くんらしい書き方だ


また戦争被害者に思いをよせる大切さを述べたうえで

それを「心に留めなければなりません」としながら

なぜ引き揚げや残留孤児の話題になるのか 意味がわからない

むしろこの部分の冒頭に さきほどの

「罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた」こと

という一文をを明記すべきだった


このように 安倍くんの談話は 文章の配列をかえて

主語を明確にすれば 良い談話になった

しかし 意図的に焦点をぼかしたために

文章は長いが 中身のうすい内容になってしまった

まさに出来の悪い学生のリポートを読んでいるようだ

したがって村山談話を越えて 歴史に残ることはないだろう


その点 村山談話は 歴史の事実にきちんと向き合っていた


わが国は 遠くない過去の一時期 国策を誤り

戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ

植民地支配と侵略によって、多くの国々

とりわけアジア諸国の人々に対して

多大の損害と苦痛を与えました


この村山談話にある「国策を誤り」という言葉も

(英文は「following a mistaken national policy」)

安倍くんは 「進むべき針路を誤り」と書き換えている

(英文は「Japan took the wrong course」)

そればかりか 日本が「針路を誤」った背景として

世界恐慌を契機とする欧米諸国によるブロック経済をあげ

そのことで日本が追いつめられた という文章になっている

ここは「日本の侵略」を認めたくない安倍くん特有の

誤った歴史認識がよくあらわれている


資源・市場・資金を米英に大きく依存していた当時の日本では

すでに二つの路線が存在し その間で揺れ動いていた

ひとつは 対米協調路線

彼らは 米英との協調を保ってこそ日本の将来があると考え

対中国政策も経済進出による拡大を重視すべしと主張していた

これに対峙していたのが 英米対決路線である

彼らは米英に対する依存を克服しなければ日本の将来はないと考え

アジアでの自給自足圏の建設をめざし

対中国政策では軍事力の行使も辞さずと主張していた


このうち世界大戦後の1920年代は協調路線が主流だったが

世界恐慌(1929)を機に 反米英的・現状打破路線が急成長する

そしてワシントン体制への打破を叫ぶようになっていくのだ
          

ただし この異なる二つの路線も

満蒙の特殊権益を擁護し ソ連を敵視する点では

共通した考えをもっていたことを見落としてはならない


だから中国で北伐と国権回復の動きが高まると

日本は山東地域に対して軍事力を行使し(1927~28年)

満州占領をめざして張作霖の爆殺(1928年)まで強行した

いずれも世界恐慌(1929)が起きる前の出来事である


こうした安倍くんの誤った歴史認識は

日露戦争の評価にもあらわれている

談話のように 方向性を誤り 敗戦に至るプロセスで語るならば

日露戦争の勝利を賞賛するのではなく

日露戦争によって日本は大陸に足かがりを築き

その後の大陸侵略の方向性を形づけた と明記すべきだろう


「新しい国際秩序」への「挑戦者」(a challenger)もいただけない

「挑戦者」の言葉は談話のなかで2回も使っているが

ワシントン体制の打破をめざしたのだから

ここは「破壊者」(a destroyer)でなければならない


安倍くん 「歴史に謙虚でなければなりません」と言いながら

談話の内容に それが反映されていない


村山談話にあった近現代史における「歴史研究を支援」する言葉

小泉談話にあった「平和を志向する教育」を希求するという言葉

こうした研究や教育に関する言葉も 安倍くんの談話からは消えてしまった

戦前の教育を反省し 平和を志向する教育をめざす

ここは とても大切なところだが

戦後の歴史教育に批判的な安倍くんとしては 言いたくないのだろう


そのかわり 安倍くんは 戦争を知らない世代には

「謝罪を続ける宿命を背負わせ」ないと明言した

しかし 本当にそう思うなら まずは 歴史に真摯に向き合い

誠意ある態度で相手の気持ちに寄り添うことが大切ではないか

「心からのおわび」を明記した村山談話が出されたあとも

歴史に真摯に向き合わない政治家が問題発言をくり返し

安倍くんのように村山談話や教科書をを批判するものがいるから

日中関係や日韓関係は いっこうによくならないのだ

安倍くんは そこのところをしっかりと自覚する必要がある


そのためにも 今回は安倍くん自身の言葉で

4つのキーワードを入れた談話をきちんと出すべきだった

それがイヤなら 出さなければ良かった

あるいは 本音を語って あちこちから集中攻撃を浴び

ついには退陣を迫られる というシナリオも ありだったかな


そんななか 談話をよく読むと 村山談話には明記されたが

小泉談話では弱められた表現が復活している

それが「核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し」という一文だ

しかし 安倍くん 核武装論者だったよね

いくら平和主義者を装っても 戦争法案の成立をめざす以上

国民は 簡単にはだまされないよ


そんななか 全国戦没者追悼式において 天皇は

みずからの「お言葉」として「さきの大戦に対する深い反省」を述べ

「反省」を口にしない 安倍くんとは一線を画した

そればかりか 天皇は 日本が国民のたゆみない努力と

「平和の存続を切望する国民の意識」に支えられて

平和と繁栄を築いたとも述べられている


戦争の惨禍を経験し 平和憲法の大切さを自覚されている天皇は

昨今の右傾化する日本に 相当な危惧をいだかれているのだろう

それは しばしば発せられる「お言葉」からひしひしと伝わってくる

国民にたえずメッセージを送っているのだ

戦争法案の可決をめざす安倍くんは

そのあたりをきちんとわかっているのかな




8月15日の空

敗戦から70年目の空 FUJIFILM X20 ダイナミックトーン



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  1. 2015/08/15(土) 15:56:09|
  2. 戦争を語り継ぐ
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