光と風のなかへ

丸亀城 07 天守






本丸の北面中央部に建つ 丸亀城の天守(重要文化財)

現存する12天守のうち もっとも小さい天守だ



丸亀城 天守



されど 見せるための工夫が随所に見られる

まず 幅が長い南北の面を妻面とすることで 入母屋破風を大きく高く作る

さらに南北には唐破風 東西には千鳥破風を設けて装飾し

各層の幅を少しずつ小さく作るなど 小さいながらも美しい天守に仕上げている



丸亀城 天守(三重櫓)



いまは西側を除いて 一階の下半分は下見板張りに作るが

もともとは西側も多聞櫓との接合部を除いて 下見板張りだったのだろう

さらに二階も 下見板張りであった可能性が高い

そうなると また少しイメージがかわるかもしれない

北面三階は大型の木製格子窓にして 城下側からの見栄えをよくしている



丸亀城 天守



内部一階は 東西41m 南北49mほどで 上階へは急階段を登る



丸亀城 天守



防火上 二階三階には照明設備がなく 薄暗い

そのうえ二階は 窓が少ないため かなり暗い

もっとも そのぶん電球がなかった時代の雰囲気は感じとれる



丸亀城 天守



北面一階には引き戸の狭間を設け 二階三階には隠し狭間を設けてある



丸亀城 天守 鉄炮狭間



三階からは眼下中央に大手枡形が見え 彼方には瀬戸内海が広がる

ただ 築城当初は すぐ下まで海が広がっていた

大手が当初 反対の南側に作られていたのも こうした地形に影響されたのだろう


 
丸亀城下



天守は山崎の時代に築かれ 京極が藩主となった万治3年(1660)に完成した

四国に残る四天守のなかでは もっとも古い天守となる



丸亀城 本丸



いまは本丸に独立した形で天守だけが残るが

かつては両脇に多聞櫓があって 隅櫓や渡櫓と連結していた

このため丸亀市は 往時の姿を復元しようと古写真を収集しているが

なかなか明確な写真は得られないようで 復元は難しい状況だ

それでもいつか壮観な姿がよみがえることを期待したい




丸亀城 本丸




なお 天守のことを 天守閣と呼ぶかたが多いが この呼称は明治以降に広まるもので

信長 秀吉 そして江戸時代の呼称は 「天守」となる 


ところで 民進党の笠浩史が中学校の教科書において

聖徳太子の名前を厩戸王に書き換えることを問題視して文科相を追及

「歴史に対する冒涜」だと反発している 

しかし それこそが歴史への冒涜だろう

みずからの無知をさらけ出していることにも ご本人は気づかないらしい

それよりも追及すべき問題があるのでは と思ったが 彼は日本会議のメンバー

それじゃあ 森友学園問題 追及できないよね




Panasonic GX8
2017.2.22. 撮影


テーマ:旅の写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/03/09(木) 00:23:06|
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