光と風のなかへ & 追憶の鉄路

追憶の鉄路 長距離鈍行 121レ






函館を早朝に発車した長距離鈍行の121レは

いくつもの峠を越えて 昼過ぎに比羅夫に到着する




蒸気機関車 函館本線




つぎの倶知安で上りの長距離鈍行122レと交換して

はるか旭川まで 旅は続く

函館から旭川まで 13時間30分の長い長い旅路だ



D51 146 121レ
函館本線 比羅夫
1970年(昭和45)12月25日


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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2012/02/11(土) 02:08:28|
  2. 追憶の鉄路 D51
  3. | コメント:2
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コメント

昭和40年代の長距離客車鈍行列車

前の122レの記事での枯れ鉄さんのコメントにもありましたが、1970年当時、この121レは、対になる下りの121レとともに、函館本線の“山線”区間を経由して、函館-旭川間を13時間以上もかけて、D51とED76-500番台のリレー牽引により運転されていた長距離客車普通列車でしたよね。


さて、1970年当時、この写真の函館本線の121レや122レと同じような長時間運転の昼間の長距離普通列車としては、東北・北海道方面では、新津-青森間を、羽越本線・奥羽本線経由で運転されていた833レという列車がありました。
この列車は、朝5時30分頃に新津を発車し、羽越本線内ではD51のリレー(酒田駅で機関車交換)で秋田駅まで向かい、秋田駅からは青森機関区のC61が牽引機となり、矢立峠越えの区間である陣場-碇ヶ関間(旧線時代)では、DF50、またはD51が後部補機として連結され、14時間30分近くの時間をかけて、終着駅の青森駅には20時頃に到着するという、写真の121レや122レに勝るとも劣らない長時間運転・長距離運転の客車普通列車として知られていたそうです。
この普通列車(833レ)までもが、国鉄時代の末期近くの1980年代半ば頃まで運転されていた(1980年代になってからは、旧型客車だけでなく、50系客車も使用されていたようですが)ことは、まさに奇跡としか言いようがないと思います。

この時代には、この833レや上野-青森間の夜行長距離普通列車・421レ(奥羽本線経由)などを利用して青森駅まで行き、そこからは青函連絡船に乗船して函館に上陸し、函館駅からは、函館本線の“山線”経由の夜行普通列車(実質的には、客車も連結した荷物列車)や写真の121レなどのような長距離普通列車に乗り継いで札幌駅や道内各地に向かった若者なども少なくなかったことと想像されます。
  1. 2012/02/12(日) 22:08:54 |
  2. URL |
  3. 荒野の素浪人 #rTSe1jAk
  4. [ 編集 ]

荒野の素浪人さんへ

コメントありがとうございます (^^)

かつては長距離鈍行がたくさん走っていましたね。
しかも座席は姿勢がよくなる木製の直角椅子!
のんびり旅ができたと懐かしむ人もいますが、やっぱり長時間乗車するには、疲れる列車でした ^^;

  1. 2012/02/12(日) 22:57:11 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

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