光と風のなかへ & 追憶の鉄路

追憶の鉄路 比羅夫 1193レ






函館本線の山線は D51の持ち場だった

昭和45年頃ならば 長万部から倶知安の間で

旅客7本 貨物4本が撮影できた

旅客 134レ 荷41レ 124レ 121レ 122レ 127レ 荷42レ
貨物 8184レ 1193レ 1194レ 1195レ



ところがC62牽引の「ニセコ」に集中していたあの時代

なんども訪れた山線なのに まともなD51の写真がない

「ニセコ」を撮るための行軍中に撮影したか

駅に帰陣する途中で撮影したか そのどちらかだ

D51がまだ日常だったからこそできた贅沢だった




蒸気機関車 函館本線



D51 237  1193レ
函館本線 比羅夫
1970年(昭和45)12月25日


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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2012/02/12(日) 00:23:47|
  2. 追憶の鉄路 D51
  3. | コメント:2
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コメント

「昔の栄光、今いずこ」の“山線”区間

まこべえさんなどがC62重連牽引の急行「ニセコ」の撮影をされていた当時、函館本線の“山線”区間は、函館-札幌間のメイン路線の座を、勾配の緩い室蘭本線・千歳線経由に譲りつつあったとはいっても、現在(国鉄時代の最後のダイヤ改正となった1986年11月のダイヤ改正以降の現在)と比較すると、まだまだ、非常に、列車本数の密度が高かったのですね。
この当時、“山線”では、長距離普通列車をはじめとする普通列車だけでなく、特急も、「キハ82系の北海」が定期で数往復(他に、臨時の夜行特急「北海」も1往復あったそうですね)も運転された他、長距離の定期急行についても、「ニセコ」の他に、函館-稚内間の「宗谷」(この列車も、運転区間が札幌-稚内間に短縮されるされるまでは、“山線”経由で運転されていたのですよね)などが設定され、貨物列車も、それなりの本数が設定されていたとのことですが、現在の“山線”区間は、完全に「昔の栄光は、今いずこ」といった感じがしてなりません。
JRになってからの一時期、バブル経済全盛の時期には、ニセコ周辺のスキーリゾート地に向かう観光客やスキーヤーなどのために、気動車編成のジョイフルトレインを使用した臨時特急や、復活したC62 3号機と旧型客車の編成による「C62ニセコ」号などが運転されましたが、バブルが弾けてからは、観光客の嗜好の変化や交通機関の選択肢の増加などにより、ジョイフルトレインによる臨時特急の設定もなくなり、また、「C62ニセコ号」も1995年に運行を終了したため、“今や、山線”区間は、国鉄時代以上に寂しくなりました。
もっとも、2000年の有珠山の噴火の際には、上野-札幌間の「北斗星」や「カシオペア」、大阪-札幌間の「トワイライトエクスプレス」といった本州方面と札幌を結ぶ豪華寝台特急や、あるいは本州-北海道間を結ぶ高速コンテナ貨物列車(いずれも、本来は室蘭本線・千歳線経由)などの迂回路として活用されたり、復活したC11による「SLニセコ」号が運転されたりと、それなりに明るい話題もあるのは確かですが・・・・・・。


本当に実現できるかどうかは分かりませんが、“山線”区間を観光路線として再活性化させるためにも、C62 2号機を徹底的に修復して完全に復活させて北海道に渡らせ、C62 3号機も再整備して復活させた上で、かつてのゴールデンコンビを復活させ、「カシオペア」や「トワイライト」を“山線”経由で運転させて、長万部駅以北の区間では、ゴールデンコンビの重連で牽引してほしいなあ、なんて妄想を考えたりもしてしまいます。
  1. 2012/02/12(日) 22:39:44 |
  2. URL |
  3. 荒野の素浪人 #rTSe1jAk
  4. [ 編集 ]

荒野の素浪人さんへ

連投コメント、ありがとうございます (^^)

当時は山線も、今とは比べものにならないくらい列車密度がありました。
なんといっても特急「北海」という優等列車まで走っていましたものね。
その函館本線も、いまや風前の灯火。
新幹線が札幌まで延伸したあかつきには経営分離の可能性が大きく、山線の存続じたいも危惧される状況です。
地元の足を切って、利潤ばかり追求するJRには、もっと公共交通の担い手としての自覚をもってもらう必要がありますね。

  1. 2012/02/12(日) 23:09:05 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

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