光と風のなかへ & 追憶の鉄路

「敵に塩を送る」 世界へ






敵に塩を送る

上杉謙信と武田信玄のエピソードが

なんとIMF・世界銀行年次総会で

ラガルド専務理事によって披露されたという

なんでも「助け合いの精神を持ち続けてほしい」と

加盟国に呼びかけたというのだ

これで謙信も信玄も 世界的な有名人かな


ただこの話 まったくの作り話だ

もっとも信玄が今川氏真との同盟を破棄したため

今川が憤慨して駿河産の塩を止めてしまったことは事実


このことは 今川家の重臣で駿東郡にいた

葛山氏元(かづらやまうじもと)の印判状のなかにある

「塩荷留められ候」 塩の流通を留めている という文言から確認できる
(「萩原芹沢文書」『静岡県史料』第一輯)


信玄の領国は内陸なので塩がとれない

どうしても外から買ってこなければならない

しかも塩は生活必需品だ

その大切な塩の入手ルートが断ち切られたら

武田領の人々は とても困っただろう


ただし 塩の入手ルートはひとつではない

このころ信玄は信長とは協調していたから

尾張や伊勢方面の塩は入手できた

さらに日本海側の越後西浜の塩が

姫川沿いの千国(ちくに)街道を通って

信濃に運ばれていた


駿河ルートが断ち切られたら

越後ルートの輸送量は増えたはずだ

このとき謙信も塩の流通を止めてしまえば

信玄も窮地に陥ってしまったかもしれない

しかし そんなことをすれば 越後西浜の塩は

信濃という大きなマーケットを失って

壊滅的な被害を受けるだろう

謙信も領国経済のことを考えたら そんな無理はできない


結局 越後の塩は これまで通り信濃に運ばれた

それは信玄の本拠地の甲斐にも転売されて

信濃の商人はぼろもうけをしたはずだ

こうした話をもとにして のちに誰かが

謙信が塩を送ったという美談に仕立てたのだろう


そもそもこの前年の永禄9年(1566)

謙信は 信州や甲州の家々を一軒残らず焼き払い

謙信の旗を甲府に立てて 武田信玄親子を退治する!

そう春日山城の持仏堂に祀った神仏に誓っていた


そんな武将がライバルに塩を送るなどありえない

助け合いなどという美談は 敵に対してはありえないのだ

それが 戦国という時代なのだ


しかし そんな作り話が

今度は世界中に伝わってしまった

それも困った問題だな




安曇野 道祖神 庚申塔 二十三夜塔
千国街道保高宿の端に立つ二十三夜塔 庚申塔 道祖神


安曇野
2012.8.24.撮影





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  1. 2012/10/12(金) 22:11:04|
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コメント

こんばんは(^^)/

ふ~ん。。。そうだったのかぁ~。
またひとつ知識が増えました♪
まこべえさんの記事はとてもわかりやすくて好きです。
上杉謙信というと、阿部寛がダブる・・・でも「天下人」はウソーー!?だった(笑)

わたしは歴女じゃないけど、戦国時代の武将には世の皆様方同様、
興味はあるので、(仁科五郎盛信?・武田勝頼の弟?とか)
まこべえセンセの講義、いっぺん受けてみたいな~♪
でもむずかしすぎてついていけないかな(笑)

またおもしろい記事、楽しみにしてます(^^)
  1. 2012/10/13(土) 00:35:24 |
  2. URL |
  3. rrrazurrr #xtWNMe8A
  4. [ 編集 ]

rrrazurrrさんへ

rrrazurrrさん、コメントありがとうございます (^^)

阿部寛の上杉謙信、格好よかっですね(ドラマはめちゃくちゃでしたが)。
実像の謙信は、さほど背は高くはなかったようですが、人を圧する、迫力のある武将だったようです。
あの世に行ったときは、謙信を探してインタビューしてきますね(^^)
ちなみに、僕らの世代だと、謙信というと、やっぱり石坂浩二かな。

戦国武将のなかで、勝頼の弟の仁科盛信の名をあげてくるとは、rrrazurrrさんも、立派な歴女ですね(^^)
それとも武田がお好きなのかな。
再来年の大河は、黒田官兵衛(主役は岡田准一)ですから、楽しみですね。

なお、まこべえ、山中教授のような優れた頭脳はもっていないので、講義はとっても簡単です ^^;
数年前なら、NHKで30分の番組を半年間受け持ってたので、タダで聞けたのですが、最近は、声がかからなくなりました。
番組、批判ばかりしているから、嫌われたかなあ。

そのうちまたおもしろい記事、書き込みますね(^^)




  1. 2012/10/13(土) 03:22:55 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

戊辰戦争の箱館総攻撃では休戦日を作って新政府軍が榎本軍に酒を贈った話があったような・・・
これも、敵に塩を贈るってことの一つですよね。
もっとも、この贈呈の狙いは五稜郭内部の崩壊を狙ってのこととか。
それで榎本軍が投降して戊辰戦争は終結したらしいですからね。

この時代はまこべえ先生の守備範囲外でしょうか?

上杉謙信役・・・柴田恭兵の記憶が強いひぐまですぅ~

  1. 2012/10/13(土) 21:29:25 |
  2. URL |
  3. ひぐま3号 #SUrRdnzA
  4. [ 編集 ]

ひぐまさんへ

13日にいただいたコメントに対する返信、誤って19日にスパムコメントと一緒に削除してしまいました。
すでにご覧いただいたかと思いますが、榎本に関する部分のみ、いま一度、返信させていただきます。


五稜郭総攻撃の直前、新政府軍が酒を贈ったという話は、おそらく参謀の黒田清隆が、榎本武揚に酒を贈った話のことを仰っているのでしょう。
ただ、この話、「敵に塩を送る」という意味とは違う内容だと思います。
発端は、黒田が榎本に降伏を勧告したとき、榎本は降伏は拒否したが、彼がオランダから持ち帰った「海律全書」(原題を直訳すると「海の国際法と外交」)という、海に関する最新の国際法の書物を、「皇国無二の書に候へば、兵火に付し、烏有と相成り候段、痛惜致し候間」(榎本武揚・松平太郎返書)という理由で、黒田に託します。
これを受けて黒田は、榎本に宛てて、皇国のために「我が国無二の珍書」を贈ってくれたことを深く感謝し、「軽微ながら、麁酒五樽これを進(まいら)せ候、旁(かたがた)郭中一統へも御振り分けなされたく存じ奉り候」と礼状にしたためて、プレゼントしたものです。
五稜郭内部の崩壊を狙って、という話は、どこから登場したのか知りませんが、史実は、上記のような内容によります。
結局、榎本軍は降伏しますが、それも、すでに兵たちは戦意を失い、疲労もたまっていたことから、降伏を決断したもので、酒をもらって懐柔されたわけではありません。
しかし、さすがに北海道育ち、よくこんな話まで、ご存知でしたね。
しかも、函館を「箱館」と書くあたりも、歴史への造型が深い証拠ですね。


このほかにも、いくつか書いた記憶があるのですが、すでに記憶から消えていて、思い出せません。
もっとも、たいした内容ではなかったかと思いますので、一応、これで返信とさせていただきます m(_ _)m

  1. 2012/10/19(金) 16:10:24 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

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