光と風のなかへ & 追憶の鉄路

69年目の夏






戦争の記憶を伝えていく

それはとても大切なことだ

そんななか リアルな戦場を再現し

そこで死ぬ ということが どういうものなのか

それを伝えていく作業が とくに求められている 

それほど いまの若者は戦争を知らない

歴史の知識としての戦争は知っているのだが

戦場のリアルさが まるで伝わっていないのだ

だから 徴兵検査も 健康診断のように

丁寧におこなわれるものだと思っている

戦場に消耗品のように投入されるのが

自分たちと同じ世代の若者であることすら

指摘されて はじめて気がつくありさまだ

これが いまの日本の若者の現実なのだ


このため 「若者と戦争」をテーマとする講義が欠かせない

そこで最初に提示するのが ブログのトップにも記載する

戦没者の年齢分布と戦没年の詳しいデータだ

このデータは 彼らにとってかなりインパクトがあるらしい

けれども 「この時代に生まれないで良かった」

そんな感想を書く学生も少なくない

こうしたデータや体験記録も

なかなか非戦の思いにまで結びつかないのだ

むしろ彼らには スマートホンなんかで遊べない

Twitterで好きなことを発信できない

夏場でも風呂やシャワーにはいれない

綺麗な服なんか着られない

そういう時代になってもよいか

そう問いかけたほうが 反応がよい
 



臨時召集令状

臨時召集令状(赤紙) 奈良県立図書情報館 戦争体験文庫より転載



そんななか 彼らが 毎年 強く反応する一文がある

川口支隊歩兵124聯隊旗手 小尾(おび)靖夫少尉が

日記に記したガダルカナルの状況だ


けさもまた数名が昇天する

ゴロゴロ転がっている屍体にハエがぶんぶんたかっている

どうやらおれたちは人間の肉体の限界まで来たらしい

生き残ったものは全員顔が土色で

頭の毛は赤子のウブ毛のように薄くぼやぼやになってきた

(中略)

やせる型の人間は骨までやせ

肥る型の人間はブヨブヨにふくらむだけ

(中略)

このころアウステン山に不思議な生命判断が流行り出した

限界に近づいた肉体の生命の日数を統計の結果から

次のやうにわけたのである

この非科学的であり 非人道的である生命判断は

決してはずれなかった

立つことの出来る人間は 寿命は三〇日間

体を起して坐れる人間は 三週間

寝たきり起きられない人間は 一週間

寝たまま小便をするものは 三日間

ものいはわなくなったものは 二日間

またたきしなくなったものは 明日

ああ 人生わずか五〇年といふことばがあるのに

おれはとしわずかに二二歳で終わるのであろうか

(小尾靖雄「人間の限界―陣中日誌」より)


そして もうひとつ インパール作戦における

第31師団衛生見習士官軽部茂則の回想である


負傷者は 膿と血と汗と泥とにまみれ 異様な臭気を放ち

蝿の生みつけた卵からかえった蛆に苦しめられた

蛆は 髪の毛のなかに 口のなかに 鼻のなかに

耳の穴にまで巣くつて成長し 傷口にとりつき

一ミリぐらいの蛆が三日もたたないうちに

五ミリから一センチぐらいに育ち

やがて 銀蝿や赤蟻に

びっしりたかられる死体の情景をつくりだした

蛆に片目をそっくりたべられた重傷患者もいた

(軽部茂則『インパール―ある従軍医の手記』徳間書店)




出征兵士に贈られた日の丸の寄せ書き




これが 戦場の実態だった

英霊たちの大半は

弾に当たって「名誉の戦死」を遂げたのではなく

餓死だった 蛆や蟻に喰われて朽ち果てていった


そんななか 戦場から離れた司令部には

食い物があふれていた

餓死にも 階級差があった

カロリン諸島のメレヨン島では

戦死比率は 将校3% 准士官3% 下士官4% 兵4%と

将校も兵隊も 戦死する割合はみな同じだったが

栄養失調を含む戦病死の比率は

将校30% 准士官21% 下士官60% 兵隊78%と

下になるほど 病死率が高かった

(防衛庁防衛研修所戦史室編『中部太平洋陸軍作戦2』)


戦争が起きたら 今度はそれが自分かもしれない

戦場で死ぬのは いつも若者なんだ

そのことを 絶えず伝えていくこと


そして 日本国憲法が

政府の行為によって

再び戦争の惨禍が起ることの

ないやうにすることを決意し


定められたことを


その第12条には

この憲法が国民に保障する自由及び権利は

国民の不断の努力によつて

これを保持しなければならない


こう記されていることを しっかりと心に刻んでおくこと

それが いま とても大切だ


69回目の敗戦の日に


関連記事

テーマ:写真日記 - ジャンル:写真

  1. 2014/08/15(金) 23:55:38|
  2. カメラ日記
  3. | コメント:4
<<子猫 アメリカンショートヘアー | ホーム | 曇のち雨>>

コメント

意外な事実

不勉強だったのか、今まで、戦死者の大半が餓死だったという話を聞いた記憶がない。
「天皇陛下万歳」と叫んで戦死されたとか、自決されたような話は聞いていましたが。
多くの方が、餓死というさらに悲惨な話を聞くと、ますます戦争をしてはいけないと思います。
補給路を確保せず侵攻を続ける戦のいろはも知らなかった訳でもなく、そこには目を背けて、無理な戦争をし、多くの国民を死に至らしめた責任は大きいですね。
大和魂、日本男児、嫌な言葉ですね。
  1. 2014/08/17(日) 00:19:47 |
  2. URL |
  3. 枯れ鉄 #-
  4. [ 編集 ]

枯れ鉄さんへ

枯れ鉄さん、コメントありがとうございます (^^)

アジア太平洋戦争における戦死と戦病死や餓死の比率は、正確にはわかりません。
しかし、たとえばガダルカナル戦における第17軍の戦没者の大半は、餓死であったと言われています。
これは、ガダルカナルからの撤退を指揮した第8方面軍司令官今村均大将の回想に 「五ケ月以前、大本営直轄部隊として、ガダルカナル島に進められた第十七軍の百武中将以下約三万の将兵中、敵兵火により斃(たお)れた者は約五千、餓死したものは約一万五千、約一万のみが、放出(救出)された」(『私記・一軍人六十年の哀歓』芙蓉書房)とあることなどから、確認できます。
同じように、ニューギニアで戦った第18軍は、約10万の戦没者のうち、9割約9万人は餓死であったとされ、、フィピン戦でも、戦後に援護局がまとめた記録に「病餓死に依る損耗は戦死、戦傷死に依る損耗を上廻った」とあります。
こうした事例は、各地の戦場で見られることから、戦没者の大半は、病死・餓死であったと見て間違いないでしょう。
これほどまで多くの餓死者を出した背景は、補給を無視、あるいは軽視して戦場をどんどん拡大させていった軍中央の作戦ミスにつきます。
そもそも対米英蘭戦争の最大の目的は、南方の資源確保にあったにもかかわらず、その輸送船団を守る専門の海上護衛総司令部が作られたのが、開戦から2年近くもたった昭和18年11月というお粗末さ。
こんなバカみたいな軍中央部連中の指揮のもとで、多くの未来ある若者たちの命が失われていったのかと思うと、怒りしかわいてきません。
ところが、アジア太平洋戦争における「英霊」たちの大半が餓死であったことは、まだ世間ではあまり知られてはいないようです。
だからこそ、こうした事実を、とくに若い人たちにきちんと伝えていく作業がとても大切だと思います。
  1. 2014/08/17(日) 17:56:59 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

終戦の日に想うこと

まこべえさん、こんにちは。
大変興味深く読ませていただきました。統計学的数字は動かし難い事実を伝えていますね。
今も世界中で宗教宗派間、民族間の戦闘が続いています。人間には生物的に排除と純化の遺伝子が仕組まれているようです。人間の英知で争いを無くすことは、かなり難しいようです。
ある新聞の記事に、終戦後の占領下、マッカーサーに50万人もの日本人が感謝の手紙を送ったとありました。しかし、帰国した司令官が、「日本人は迎合的で権力に弱く、思想的には12歳の少年だ」と言った途端に人気が下がったとか。そして、現在の日本人はいったい何歳になったのでしょうか。
「戦争と平和」については色々な考え、意見があると思いますが、少なくとも今必要なことは、どうして戦争が起き、どのように若者が戦地に送られ、戦場で何が起きたのか。そして、戦争が残したものは何なのか。こういったことを、各個が冷静、客観的に検証し、個人個人が戦争を回避する手段を考えることだと思います。
悲しいかな、語り継がれる多くの地名、ガダルカナル、インパール、サイパン、硫黄島、沖縄、広島、長崎・・・。これらの戦場での出来事は、戦争の悲惨さを後世に伝えていくものです。この事実を正確に記録し伝えていくことは、本邦の初歩的な義務と考えます。そして、小生が最も重要と考えるのは、「なぜ戦争が起きたのか」という最も根源的な部分です。非常に難しい問題ですが、結果的に他国も含め多くの若者を無駄死にさせてしまった原因は、当時の日本という独裁国家にあるのか、無責任非道な軍属にあるのか、それとも、暴走を許してしまった迎合的日本国民にあるのか。この辺りの議論を避けている限り、また凄惨な歴史が繰り返されるように思えてなりません。
  1. 2014/08/18(月) 18:56:08 |
  2. URL |
  3. こあらま #aZSvTHdQ
  4. [ 編集 ]

こあらまさんへ

こあらまさん、コメントありがとうございます (^^)

マッカーサーが離日するとき、たくさんの感謝を記した手紙が送られたことは有名な話ですが、国会では、感謝の決議までおこなわれています。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/010/0512/01004160512030a.html
それだけ、マッカーサーの日本統治がうまくいったということなのでしょう。
しかし、彼が、それほどまでに日本の国民から尊敬と感謝の気持ちを引き出させたということは、見方をかえれば、国民の協力や支援がなければ、日本の占領統治など、全くできなかったことを意味しています。
このように、いつ、いかなる状況であっても、国民の動向こそが支配者にとってとても重要な問題であり、これを無視して支配は成り立ちません。
したがって、戦争の問題を考えるときも、開戦を決めるのは支配者だとしても、そうした動きを許し、支持してしまった国民の責任も、とても大きいと思います。
戦争は、突然はじまるわけではなく、そこに至るまでの長い積み重ねが存在します。
そのなかで、戦争を止める選択肢もとうぜんあったのですが、そうした声は無視されてしまいました。
そして、あとになって、あのときこうしていたら、という思いばかりがつのります。
だからこそ、私たちは、同じ過ちを起こさないためにも、歴史に謙虚に向き合い、歴史から多くを学んで、戦争に向かう動きがあれば、それを事前に摘み取っていくことがとても大切だと思います。
その意味で、日本国憲法の第12条がなげかける言葉は、とても意味のある言葉だといえましょう。
そしていまの時代こそ、この「国民の不断の努力」が求められているのではないでしょうか。
貴重なご意見、ありがとうございました。
  1. 2014/08/19(火) 03:42:24 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する