光と風のなかへ

7月2日  米軍 沖縄戦の終了を宣言






1945年1月20日 大本営陸軍部と海軍部が作成した

「帝国陸海軍作戦計画大綱」に こんな一文がある


皇土防衛の為の縦深作戦遂行上の前縁は

南千島  小笠原諸島(硫黄島を含む)

沖縄本島以南の南西諸島

台湾及上海付近とし 之を確保す

右前緑地帯の一部に於て 状況真に止むを得ず

敵の上陸を見る場合に於ても

極力敵の出血消耗を図り 且敵航空基盤造成を妨害す


この大綱こ明記されるように

沖縄は「皇土」ではなく その外側の「前縁」だった

「前縁」とされたが故に 沖縄には

本土決戦の準備を進めるために できるだけ時間を稼ぎ

敵にダメージを与える「縦深作戦」が期待された




第32軍

沖縄守備軍の首脳 1は大田実海軍中将 2は牛島満第32軍司令官 3は長勇第32軍参謀長  1945年2月撮影



それから2か月後の3月26日

慶良間に上陸した米軍は ここを足がかりにして

4月1日 沖縄本島に上陸した




沖縄戦




翌日 沖縄の状況を小磯首相から問われた

参謀本部の宮崎作戦部長は こう答えたという


結局 敵に占領せられ 本土来寇は必至と応答す

 (『参謀本部 機密戦争日誌』)


大本営は 米軍上陸と同時に沖縄の占領は時間の問題だと認識し

はやくも関心は 本土防衛に向けられていた

沖縄は この時点で守るべき「皇土」からも見捨てられてしまった




沖縄戦




「捨て石」にされながらも 沖縄では

官民一体となっての戦闘が繰り広げられた

その結果 22万を超す命が失われた

米英軍も1万4000人以上の戦死者を出し

精神に異常きたした兵士もいた




沖縄戦




その戦闘がほぼ終わったのが 7月2日

第10軍G2Reportは こう記す

6月23日以来の掃討戦が終了 沖縄戦終了宣言が出される




沖縄戦




ありったけの地獄を一か所に集めた戦場 と言われた沖縄戦は

米軍の慶良間上陸から71日目にして ようやく終結を迎えようとしていた




沖縄戦




しかしそれでもなお 散発的な戦闘は続いている


7月8日

日本兵と数回遭遇 その結果 日本兵38名が戦死

本部半島の局地戦の結果 日本兵五人を殺す


7月9日

第27師団地区で日本兵9人を殺す

本島南部 日本兵50人を殺す


7月10日

本部半島で日本兵4人が戦死

南部地区で……洞窟に入り日本兵一人発見し殺す

この期間に68人の日本兵を殺す




沖縄戦




このあとも戦闘記録は 降伏調印の前前日まで続く

7月22日には手榴弾を持ち日本兵と共にいた看護婦も1人殺している

7月24日の報告では 敗残兵は飢餓状態にあり

10人に1人が武装しているだけで 戦闘意欲は失われている

パンザイ攻撃をかける能力もない とある




沖縄戦




死体485を発見(7/18) 325人の日本兵の死体発見(7/25)

249人の日本兵の死体を発見(7/25)といった記事も散見する

8月16日以降も86人が戦闘意欲をなくさず殺されている




沖縄戦




沖縄戦が終結したのは 降伏調印が締結された9月7日だった

G2Reportの戦闘記録をもとに この日までの死者をカウントすると

7月2日以降 戦死者は1239人にも及ぶ

しかも降伏調印がおこなわれた9月7日以降も

9月11日に3人殺されている

しかもこのうちの1人は 男装した女性だった




沖縄戦




女性や子供までもまきこんで戦われた沖縄戦

そこで何が起きていたのか その実態を追い続けることはとても辛いが

そこから学ぶべきことは とても多い



沖縄戦

第1海兵師団のデロマ薬剤士助手に保護された少女




写真は沖縄公文書館所蔵

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  1. 2015/07/02(木) 22:51:07|
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