光と風のなかへ & 追憶の鉄路

7月7日 盧溝橋事件から78年






7月7日 といえば ふつうは 七夕だが

盧溝橋事件が起きた日でもある

これを契機に 日本は中国との戦争を本格化させていく

いまから78年前のことだ


それでも当初は 拡大させない選択肢も残されていた

陸軍部内でも 拡大論と不拡大論が対立していた

ところが 華北を中国から分離し「第2の満州国」にしようという

拡大論が高まるなかで 決定打を放ったのが

幅広い支持を集めていた近衛首相だった


近衛は 一撃をあたえれば中国は容易に屈伏し

中国における様々な懸案も解決できるという甘い判断のもと

威力顕示のための派兵を決定してしまう


ところが中国の抵抗によって事態はかえって悪化し

ついには全面戦争へと拡大してしまった


そのなかで 政府は 戦争の大義名分を主張できず

8月15日の帝国政府の声明(事実上の戦争宣言)では


帝国としては最早 隠忍 其の限度に達し

支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し

以て南京政府の反省を促す


中国の「暴戻」(乱暴)を「膺懲」(征伐してこらしめる)して「反省」を促す

こんなあいまいな形でしか 戦争の目的を提示できなかった


ついで1938年1月16日 近衛は 中国に徹底的な打撃をあたえて

長年の懸案を一挙に解決すべきであるとして

長期戦をさけたい陸軍参謀本部の主張を押し切り

蔣介石の国民政府とは以後交渉しないと発表してしまう

この声明によって日本は 戦争を終結させるための交渉窓口を

みずからの手で閉ざしてしまった


さらに近衛は 11月3日 ヴェルサイユ体制の打破と

「ヨーロッパ新秩序」の建設をうたうドイツに呼応し

戦争の目的は「日本・満州・支那」の提携による

東亜新秩序の建設にあることを明記して 中国侵略を正当化する


しかし 戦争は さらなる泥沼へとはいりこみ

最後にたどり着いたところは 1945年の敗戦だった


日中戦争やアジア太平洋戦争は 軍部の暴走だとよく言われる

それも確かにあるが 近衛のような文民の責任も大きい

そしてその近衛を支持した国民たちの存在も無視できない


国民が攻撃的な声をあげ 文民がその賛意を得て戦争を推進する

戦争法案を推進しながら いまだ40%台の高い支持率を誇る安倍内閣

安倍は第二の近衛になるのか   国民はそれでも良いのか 




7月7日の空




七夕の空は これからの日本の行く末を暗示しているようだ




FUJIFILM X20
2015.7.7.撮影

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  1. 2015/07/07(火) 18:39:35|
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