光と風のなかへ & 追憶の鉄路

『レッドクロス 女たちの赤紙』の印象 02






TBSテレビ60周年企画番組

『レッドクロス 女たちの赤紙』


緊張する日中関係を配慮してか 善人と悪人を日中双方に配置するなど

製作にあたっては  いろいろと苦労されたところが多々あっただろう

中国側の協力があって製作できた作品だと思うが

番組公式HPに中国サイドのスタッフの記事や謝辞が全くないのも

政治的なトラブルに巻き込まれたくない配慮なのかもしれない


その番組公式HPにあるファンメッセージにこんな書き込みがあった

16歳の男の子からのメッセージだ


従軍看護婦が見た戦争戦争は恐ろしいものだ

けれどこれからまた起こる訳ではないし

僕がどうこうするものではないのだ

と決めつけているのだと思います

しかしこのドラマで気づかされたのは

戦争を知らないから

戦争について考える必要がないのではなくて

戦争を知らないからこそ

戦争について考えなければならないのだということでした

昔の人は戦争があったから必死に生きた

現代の我々は戦争がないから流されて生きる

それがよいことなのかどうか 今は疑問に思うようになりました

大それたことを言いますが 過去は未来のためにあるのだと思います

昔を知り 今と そしてこれからのことを深く考えるべきだと思いました


きっかけは なんでも良いのだ

大切なことは そこから何を感じ 何を学ぶかだ

過去は未来のためにある

そこに気がついたことは 彼にとって大きな財産となろう

ドラマには こうした力がある


ネットでは 共産党賛美だ 反日だ といった 意見も見受けられるが

第二夜は 日中の現代史を描いた作品としても 一見の価値がある

第一夜とは異なる脚本家が書いたのではと思わせるほど

第二夜のほうがあきらかに良い作品に仕上がっている

NHKの『大地の子』からも 大きな影響を受けたのだろう


中国に残留させられた従軍看護婦たちは

ソ連軍の侵攻のなかで 最初はソ連軍の看護婦として働かされる

そのとき置き去りにされた満蒙開拓青少年義勇軍の治療もしている

このあたりはドラマには描かれなかったが

いまや忘れさられた満蒙開拓義勇軍の少年たち

10代なかばだった彼らたちの生きたあかしを知らしめるためにも

また従軍看護婦のドラマならば ここはソ連軍の横暴ではなく

悲惨な状況下にあった少年たちの姿を描いてほしかった


ただし 若い見習い看護婦が拉致され 司令部にかけあったが

ついに戻ってこなかったという証言(日赤第467救護班)はある

(『従軍看護婦たちの大東亜戦争』祥伝社)



その後 彼女たちは 中国の国共内戦にまきこまれ

八路軍や国民党軍の看護婦として医療活動を命じられ 期待もされていく

当時の中国は医療技術が遅れていたため

技術の高い日本の看護婦がどうしても必要だったのだ


彼女たちは 衛生学や看護学 薬品などの看護教育を施した

従軍看護婦の津村ナミエは このときの様子をこう証言している


当時 たいていの日本人看護婦は 婦長などの責任を持って頑張っていました

そうやって 中国の内戦を闘っていたんです

(川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社 その歴史と従軍証言』文理閣より)



その津村ナミエは 八路軍が日本軍よりもまともだったとも証言する


ずっと看護婦ばかりやって来たんだから

何とか主義だの言われてもわからない

でも段々とわかるようになってきたのは

中国の軍隊幹部と兵隊との信頼関係が

日本の軍隊とは違うということだった

中国の幹部は本当に兵隊をかわいがる

だから革命も勝利したんだと思う

  (中略)

前線から兵隊が夜中に帰ってくるというと

夜も寝ないで幹部が待っている

幹部が 泥だらけの足をお湯で洗ってやるんですよ

綺麗に拭いて ご飯を食べさせて

「お前はどこで闘ったのか 今日はゆっくり寝なさい」と言う

日本の軍隊ではそんなの見たことがなかった

ただ「命令」の一点張りでしょ

中国は家族のようにいたわってかわいがる

(川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社 その歴史と従軍証言』文理閣より)



彼女たちが帰国できたのは ドラマで描かれたように

1953年(昭和28)のことだったが なおも残留したものたちもいた

津村ナミエもその一人で その帰国は もっとも遅い

1958年(昭和33) 敗戦から13年後のことだった


(次回に 続く)




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  1. 2015/08/04(火) 02:44:48|
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コメント

原爆投下の日

話題は外れてますが、お許しを。
先日のNHKの調査結果によると、広島で30%長崎に至っては26%と正しく答えられないという結果。
会社の40歳前の人間に聞いても、8月15日との解答。
情けない話です。
今の、日本の教育。なんか間違ってませんかね?
もっとも、私の青春時代の京都の先生はほとんどが左系で、アメリカはこんな酷いことをしたと、特に強調されていたのも考えものですが。
教育に関しては、その内容よりも、教わったことが少しも頭に残っていないことが問題で、私らの時代のように、詰め込んだほうが残っているのではないでしょうか。
  1. 2015/08/04(火) 22:35:12 |
  2. URL |
  3. 枯れ鉄 #-
  4. [ 編集 ]

枯れ鉄さんへ

枯れ鉄さん、コメントありがとうございます (^^)

NHKの調査結果、驚かれたかたが多かったようですが、日ごろ、学生に接している感覚からすると、無作為であるならば、こんなものかもしれません。
若い世代にとっては、もはや戦争は、戦国時代や江戸時代を学ぶことと同じ感覚です。
そのうえ、高校までの授業では、よく進んだと手史も明治時代まで。
それ以降の歴史は時間切れで学ぶこともできず、推薦入学の学生に至っては受験勉強もしていませんから、近現代史は知識としてもすっぽり抜け落ちています。
このため、どれだけニュースで戦争の話が流れようとも、関心がなければ、日にちなど、気にもとめないでしょう(それでは困るんですけどね)。

先日もびっくりしたのですが、戦後における日本とドイツの過去への取り組みのかたの違いを説明していたとき、一人の学生が「先生、ナチスって何でか」と質問してきました。ナチスですよ!
驚きながらも、もしやと、「ナチスの名前はニュースなどで聞いたことがあっても、何なのか、よくわからない人、手を挙げて」と質問したところ、100名以上の教室で、数名がわからないと手を挙げました。
さすがにアメリカと戦争をしたことや、真珠湾攻撃はみな知っていますが、それ以前に中国と戦争をしていたこと、さらには満州はどこなのか、柳条湖事件や盧溝橋事件とは何なのか、こういった話になると、もうわからない学生が続出します。
悲しいかな、これが現在の日本の教育なんです。

このため、近現代史を教えるにしても、かなり基礎的なところから、かみくだいて話を組み立てていかないと、ついてこれない学生が出てしまいます。
だからといって、高校までのように、ただ出来事を羅列して覚えさせても意味がないので、資料や証言記録、ときには映像記録を活用して、できるだけリアルに歴史の出来事を再現し、それを追体験させることで、関心を惹くように努めています。
関心さえ惹けば、そこは大学生ですから、よく覚えます。
今回のリポートでも、南方戦線におけるウジ虫治療の証言記録などは、戦場がいかにすさまじかったかを強く印象づけたようです。
講義では、そこから、なぜウジ虫療法などしなくてはならなかったのか、医薬品が届かないのはなぜなのか、問題点をあぶり出し、リスクも考えずに、楽観的な見通しで戦場をやみくもに広げたこと、しかし、その危機管理に対する認識の甘さは、実は現在もかわっていないのではないか、といったことを各自で考えさせるように講義を進めています。
戦争の時代は、若い世代にとっては、遠い過去の出来事、しかも想像もできない出来事。
だからこそ、まずは知識を覚えさせることよりも、リアルな復元をしたうえで、関心をもたせることのほうがとても大切ではないかと思います。
そのなかで、過去の出来事が、実はいまの時代とも直結していること、とくにこれから時代を担う若者たちと直結していることを、どれだけリアルに認識させられるか、ここが勝負どころかと思います。
そのきっかけは、何でも良いと思います。
ドラマでもよいでしょう、親から聞いた戦争体験の話でも良いでしょう。
そこから出来事を知識として覚えるのではなく、その背景を考えさせていく、それこそが大事なことかと思います。
いずれにしても、平成生まれの若者に、戦争の時代を語ることは、かなりたいへんな作業なのです。
  1. 2015/08/05(水) 01:30:23 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

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