光と風のなかへ & 追憶の鉄路

『レッドクロス 女たちの赤紙』の印象 04






『レッドクロス 女たちの赤紙』のモデルとなった

日本赤十字社の「救護看護婦」(従軍看護婦)たち

ドラマでは 松嶋菜々子が演じる主人公の天野希与は

小作人の一人娘という設定だった

小作人にしては大きな家だったが この設定はとても良かった

戦前の小作人は たいへん厳しい生活のもとに置かれていた

しかも赤紙で召集を受けて出征兵士を送り出すのが家の名誉だった時代

小作人の一人娘 いまでは想像もつかないほどの肩身の狭い暮らしだっただろう

そんな環境のなかから 日赤の看護婦となって

(日赤に進学すると 通学・生活費は日赤支給のうえ小遣いまで支給された)

赤紙をもらって出征する しかも村の人の盛大な見送りを受けてだ

ドラマは このあたりをさりげなく描いていたが

現実に小作人の娘がいたら 彼女にとっても 親にとっても

この日は ハレの日そのものだったにちがいない


小作人の娘ではなかったが 満州東寧陸軍病院に配属された

村山三千子は 赤紙が来たときの様子をこう回想する


この遺髪は 私の二〇歳のときですよ 形見です

これは自分で切ってね 父に封筒で送ったの 

(赤紙が届いたときは)嬉しかった

もう日赤を卒業すれば当然赤紙待ってるわけ

「ああ私にも早く来ないかな」って

赤紙が来たら もうどこへも 村中全部に知らせるし村長さんにも

晴れがましいの 今だったらやっぱり死ぬということ怖いよ

だけど全然その当時は死ぬことが当たり前で

戦争に行くんだから 名誉で当たり前だって

だからこのころは徹底した軍国乙女ということよ

(NHK戦争プロジェクト『証言記録 兵士たちの戦争③』NHK出版)



この場面の演出がとてもよかったので

このあとの展開を期待したのだが

軍国乙女の姿がきれいに取り去られてしまった

ここは軍国乙女が 敗戦後

日赤の博愛精神を支えに大陸で必死に生きて行く

そんな演出にしてもらいたかった


先日も記した通り 赤十字の精神よりも

お国のためが優先される時代だった 

だから 看護教育のもとでも 軍隊式が徹底された

従軍看護婦の肥後喜久恵も こう回想する


私たちは軍隊に準じた教育を受けました

軍隊の階級教育です

廊下を通るのに 一年生は立ち止まって

15度の敬礼をしなければいけなかった

兵隊さんと一緒です

一年生のときは 向こうから誰が来ても

全部自分よりも上の人でしょ

立ち止まって敬礼ばかりしているから

廊下を通るのにとても時間がかかるんです

(中略)

日赤の教育では まず軍隊の内務規定をやりました

階級を覚えさせられて 軍隊の内務令 敬礼の仕方などです

それから看護法 生体解剖 治療の介助などの看護婦の教育

(川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社 その歴史と従軍証言』文理閣より)



看護教育よりも 軍隊の内務規定

まさに 「従軍看護婦」などである

このあたりは しっかりと描いてほしかった


津村ナミエも こう証言する


軍隊は絶対的な組織で

上から「これやりなさい」と言われたら絶対服従

そういう戦時の上級と下級の関係は非常に厳しかった

(川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社 その歴史と従軍証言』文理閣より)


絶対服従だから 軍医から重症患者への薬殺を命じられても拒否はできない


比島に配属された三村寿美江の証言は とてもつらい


(なぜ注射をしたかというと)もう担送患者(担架で運ぶ患者)で動けなんだら

行軍にもついて来れんでしょう 歩ける患者だけしか私らと一緒に歩かれへん

せやから寝たきりになったら そういう処置をしとかなんだらな

(命令されたときは)やっぱり嫌やったです

嫌でも命令じゃからせなんだらしょうがないしな

命を絶ついうことはな もうなんとも言われんです

夜 「これを注射したら 夜よう寝られるから注射してあげるわな」言うで

それで注射するんです 結局麻薬ですな

眠り薬 モルヒネと同じ性能持ってる薬です

だから量が少なかったらそのままよく眠れる

量が多かったら何も知らずにそのまま逝ってしまう

それでな はじめに注射をしたときに 打つ量が少なくて

朝 患者さんが目を覚ましてなんとも言われんええ顔しとって

「看護婦さん ええ気持ちでよう寝た また今晩も注射してなあ」いうて言いよったです

注射して死んでしまういうことは知らんですもんな

ほんまにあの笑顔は 嬉しそうな顔 今でもやっぱり忘れられんですよ

少しでも望みのあるような人やったら ひょろひょろとでも歩けます

せやけどもう全然そういうことはようせん

ほんまに死ぬのを待つだけの状態の人は

敵に捕らえられたらどんな無残な死に方をさせられるかわからん

それよりもどうせあかんのやったら

日本人の手で穏やかに死なせたほうがええいうことですわな

もうあのときは一番辛かった 忘れよう思うても やっぱり忘れられんですわな

(NHK戦争プロジェクト『証言記録 兵士たちの戦争③』NHK出版)


戦場では 軍医の命令は絶対だった

ドラマのように 軍医に反論などできるわけがない

ドラマとはいえ こうした時代の空気は

きっちり描いてもらいたかった


*                   *


従軍看護婦たちの仕事に比べたら 苦労にもならない採点業務

なんとか無事に終わって 成績入力もすべて完了

正直 頭はふらふらで ぐっすり眠りたいところだが

こうした文章を打つことは なぜか苦にならない

しかも この連載記事 なぜか写真の記事よりも拍手が多い

せっかくなので もう少しだけ続けよう

ただ 写真ブログに写真がないというのもさみしいので

このところの連続猛暑日の更新にちなんで

とっても暑そうな一枚をはりつけておこう




丸子橋




なお  8月13日(木) 午後10時00分から NHKスペシャルで

『女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~』が放送される

日赤でみつかった業務報告書と証言をもとに構成された番組

ぜひご覧になって ドラマとは比較にならない苛酷な活動を知ってもらいたい




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