光と風のなかへ & 追憶の鉄路

追憶の鉄路 特別編 最後の汽笛






日本で最初に蒸気機関車が走ったのは

1854年(嘉永7)1月

ペリーが二度目に来航したときだった 

このときペリーは アメリカの技術力を誇示するために

たくさんの献上品を持参したが そのなかに

機関車と炭水車 客車 そしてレール一式があった

そのときの様子を 『ペルリ提督 日本遠征記』は こう記している


機関車と客車と炭水車とをつけた汽車も…(中略)…

彼等の興味をそそったのである

その装置は……非常に小さいので

六歳の子供でもやっと運び得るだけであった

けれども日本人は それに乗らないと承知できなかった

そして車の中に入ることができないので屋根の上に乗った

円を描いた軌道の上を一時間二十マイル哩の速力で

真面目くさった一人の役人が その寛かな衣服を風にひらひらさせながら

ぐるぐる廻はっているのを見るのは 少からず滑稽な光景であった

彼は烈しい好奇心で 歯をむいて笑ひながら

屋根の端しに必死にしがみついていた


それから18年後の1872年(明治5)  鉄道開業にともなって

10両の蒸気機関車がイギリスから輸入されて日本の大地を走った

国産の蒸気機関車が誕生したのは 1893年(明治26)

その技術は やがて本格的な貨物用機関車 9600を誕生させていく

その記念すべき1号機は 1913年(大正2)川崎製造所で生まれた




蒸気機関車 9600 梅小路機関区

梅小路蒸気機関車館 1974年(昭和49)



それからというもの キューロクの愛称で呼ばれたこの機関車は

貨物だけではなく 客車も牽引して 日本列島を走り続けた




蒸気機関車 9600 後藤寺線

後藤寺線 後藤寺-船尾 1974年(昭和49)晩秋



北は北海道から 南は九州まで 全国各地で活躍したキューロクは

いつしかふるさとの風景にとけこんで 日本を代表する蒸気機関車となった




蒸気機関車 9600 湧網線

湧網線 計呂地 1974年(昭和49)3月28日



ぼくが小学生のとき はじめて撮影した蒸気機関車も キューロクだった

中学生になって訪れた大宮機関区では 雨に濡れたキューロクが待っていた




蒸気機関車 9600 大宮機関区

大宮機関区 1968年(昭和43)10月4日



日曜日になるとよく通った東京近郊の八高線

ここもキューロクの仕事場だった




蒸気機関車 9600 八高線

八高線 金子駅 1281レ 1969年(昭和44)4月1日



川越線では 長い客車をしたがえて

朝の通勤客を運ぶのがキューロクの日課だった




蒸気機関車 9600 川越線

川越線川越駅 1969年(昭和44)



何度も一人で旅した九州 そして東北 北海道




蒸気機関車 9600 筑豊本線

筑豊本線 中間付近 1969年(昭和44)8月



そこには いつも キューロクがいた




蒸気機関車 9600 伊田駅

田川線 伊田駅 1974年(昭和49)12月2日



何でも牽いて ふるさとの野山を駆けたキューロク

デゴイチの補機を務めたり 入れ替え作業もしっかりこなした




蒸気機関車 9600 真谷地炭礦専用鉄道

北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道 沼の沢 1974年(昭和49)3月27日



そのためか 蒸気機関車のなかでは

どちらかといえば地味な機関車だったかもしれない




蒸気機関車 9600 宗谷本線抜海駅

宗谷本線 抜海駅 1974年(昭和49)3月25日



けれども 猛暑の夏の日も 雨風の吹く厳しい日も

そして 凍えるような寒さのなかでも

ただ もくもくと仕事をこなすキューロクが好きだった 




蒸気機関車 9600 米坂線

米坂線 宇津峠 1971年(昭和46)1月6日



そのキューロクが追分機関区で最後の仕事を終えたのが

いまから40年前の今日 1976年(昭和51年)3月2日のことだ




蒸気機関車 9600 田川線

田川線 油須原~勾金 1974年(昭和49)



すでに定期列車の仕業を終えていた蒸気機関車にとって

この入れ替え作業が 最後に残された唯一の仕事だった

そしてこの日 その作業も終えて 日本の蒸気機関車の歴史に幕がおりた




蒸気機関車 9600 伊田線

伊田線 伊田~糒 1974年(昭和49)12月2日



あのころ 誰が想像できただろか

国鉄最後の蒸気機関車が 大正生まれのキューロクになることを




蒸気機関車 9600 倶知安

函館本線 倶知安駅 1971年(昭和46)3月下旬



最後まで生き残った機関車は 39679、49648、79602 の3両だった




蒸気機関車 9600 幌内線

幌内線 幌内駅 1974年(昭和49)3月29日




その後 蒸気機関車はイベント列車として復活をはたす

いまや世代を超えて どこでも人気者だ




蒸気機関車 9600 幌内線

幌内線 三笠~幌内 1974年(昭和49)3月29日



しかしキューロクは いまだに眠りについたままだ




蒸気機関車 9600 幌内線

幌内線 幌内駅 1974年(昭和49)3月29日



キューロクよ いま一度 眼を覚ませ




蒸気機関車 9600 伊田駅

田川線伊田駅 1974年(昭和49)12月2日



きみが走る姿を みんなが待っている





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  1. 2016/03/02(水) 21:29:03|
  2. 追憶の鉄路 9600
  3. | コメント:4
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コメント

今なら

関西では、西舞鶴にキューロクがいて、宮津線や東舞鶴迄の貨物と春に丹後山田までチューリップ号というのを牽いてました。
その頃車齢50年程で、老兵と呼ばれてました。EF66が車齢40年程になりますから、それを思うとEF66も凄いです。
子供の頃、新鋭だった罐が老兵となったいま、自分も歳をとったなぁと思います。
電機は蒸機ほどの魅力はないですが、応援したいですね(笑)
  1. 2016/03/05(土) 11:12:02 |
  2. URL |
  3. 枯れ鉄 #-
  4. [ 編集 ]

枯れ鉄さんへ

枯れ鉄さん、コメントありがとうございます (^^)

関西のキューロクといえば、宮津線が有名でしたね。
残念ながら、撮影には行けませんでしたが、この機関車は、ほんとによく活躍したと思います。
一般的には、蒸気機関車の代名詞といえば、デゴイチですが、800両以上製造され、日本中のローカル線で活躍したキューロクのほうが、ニッポンの蒸気機関車にふさわしいと思います。
我が家の鉄道にも、マイクロとカトーのキューロクが4両ほど在籍しています(^^)
ハチロクも復活したのですから、キューロクの走りも、いつか見たいものですね。

EF66も、登場時(弁当箱を載せていない時代)は、格好いい機関車だなあと、毎朝、山手貨物線を走る姿をながめていました。
その66も、そして蒸気の天敵だったデデゴイチも、いまや風前のともしび。
それだけ自分も年をとったということで、時代の流れを感じますね。
  1. 2016/03/05(土) 21:07:36 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

忘れ得ぬ罐

まこべえさん、こんばんは。

珠玉のキューロクの数々。連日連夜拝見していますが飽きることがありません。
それにしてもキューロクは味のある罐です。地域に順化した個性ある容姿も見どころですね。
これだけ繁栄した機関車ですから、余程乗り手の評判が良かったんでしょう。
多くののファンがいるのですから、是非とも復活してもらいたいものです。

どう見ても、やはり晩年の方が写真の腕が上がり、画質もよくなっているようですね。
ただ、草創期の八高線や川越線、米坂線は、特別の思いのある忘れえぬ情景です。
今回は秀作揃いで、敢えて言えば沼ノ沢の落葉松、伊田のボタ山、幌内の炭鉱住宅に夫々1票です。
続きは、キューロクの日にでも拝見できるのではないかと楽しみにしています。

そうそう、伊田の一枚はセルフポートレートですか。こういうツーショットが撮れた時代も懐かしいです。
なかなかの男前。とくと拝見させて頂きました。
  1. 2016/03/05(土) 23:47:47 |
  2. URL |
  3. こあらま #LnFXTotg
  4. [ 編集 ]

こあらまさんへ

こあらまさん、コメントに加えて、過分なお言葉、ありがとうございます (^^)

キューロクは、王者シロクニなどと違って、とても身近な機関車だったこともあり、はじめは特別好きな機関車ではありませんでした。
それが、さいはてのローカル線でも、もくもくと仕事に励む姿を見ているうちに、次第にその魅力にとりつかれていった機関車です。
一目惚れと違って、気がついたら惹かれていたというのは、その思いがとても強くなるものなんですね。
常紋で、補機にはげむキューロクも、最高でした!
さまざまな形があって、それぞれに個性があるのも、人間的でいいですね。

ただ、華やかな世界にいた機関車ではないため、キューロクが好きなファンは、そんなに多くはいないだろうと思っていたのですが、ネットの時代になって、くろくまさんをはじめ、意外とキューロクファンが多いことに気がつき驚きました。
みなさん、同じような思いでキューロクを見ていたんだなあと、嬉しくもありました。
真岡では、圧縮空気によるキューロクが復活しましたが、石炭で走るキューロクの姿を、いま一度、見たいものですね。
そのときは、絶対、米坂線ですね。

八高線や川越線などの初期のモノクロ写真は、みなフジカハーフで撮影したものです。
これに対し、蒸気終焉の頃の写真は、キヤノンFTでの撮影です。
今回は、初期の頃と晩年の頃の写真を中心にまとめたので、機材の差と経験の差が一目瞭然ですね。
また、米坂線は、露出計も何もついていないミノルタSRT+標準レンズによるもので、猛吹雪による露出ミスもあって、ネガの調子もあまりよくありません。
これがいまでも、悔やまれます。
その思いもあって、米坂線でのキューロク復活、ぜひ実現してほしいものです。

カマに乗っている写真は、伊田駅でキューロクを撮影していたら、機関士のかたが(いや、もしかしたら、最後の写真に写る機関助士のかただったかもしれませんが)、カマと一緒に撮ってやるよ、と声をかけられ、やったぁー、の思いで撮影してもらった宝物です。
そのあと、キャブにも乗せてもらい、カマだきの写真も撮らせてもらいました。
あの頃は、なんでも自由に撮らせてもらえて、おおらかな時代でしたね。
ただ、写真に写るスリムな姿は、とうに消えてしまいましたが(汗)



  1. 2016/03/06(日) 02:35:39 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

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