光と風のなかへ & 追憶の鉄路

原爆投下目標点 京都 梅小路機関区






あまり知られてはいないが 京都は原爆投下の第一目標だった

1945年5月10日と11日に開かれた第2回目標選定委員会の会議記録を記す

極秘文書には つぎのように記されている




マンハッタン計画極秘文書より




「 (1)京都――この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。

それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、

現在では多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。

心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、

そこの住民は、この特殊装置のような兵器(原爆)の意義を

正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある。〔AA級目標〕」


このように 京都は「AA Target」 最有力目標だった

投下目標点は 梅小路機関区




マンハッタン計画極秘文書より




大型蒸気の機まわしもできた大きな転車台と扇形機関庫は

1万mの上空からでも目立ったことだろう




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




だが 京都は占領政策とのからみで目標から一時除外された

これによって京都と同じ「AA級目標」とされた広島が第一目標に浮上し

京都にかわって 長崎が目標都市に新たに選定された

これに関しては ブログの「原爆投下目標 京都」を参照




しかし もし梅小路に原爆が投下されていたら どうなっていただろう

広島は 10秒で衝撃波に飲み込まれ 10秒で破壊されたという


『原子爆弾災害調査報告書』によると 投下直後の状況はこうだ

「広島では、爆心直下を中心とし、だいたい径2キロメートルまでの地域内では、

木造家屋はまったく崩壊し、かつ全く焼失した。

堅牢なコンクリート建物はだいたいにおいて崩壊はしなかったが、

窓は全部吹き飛ばされ、内部はことごとく焼失した。

家屋の焼失は、家屋の崩壊のために二次的に起ったとの観察もあるが、

土木建築科会の調査の結果から、爆心直下から六三〇メートルヘの地点へは

摂氏約二、〇〇〇度の熱が到達したと推定せられるので、

半径一・八キロメートルの円周圏内では輻射熱の直射によって、

一次的に火災発生の可能であることが充分に想像し得られると思う。

広島では更に二キロメートルないし四キロメートルの圏内は、

木造家屋はその距離に応じて、全壊または半壊したが火災は起らなかった。

窓ガラスの破損は遠く一六キロメートル以上の地点まで及んでおり、

樹木への影響は二〇キロメートル程度、

爆風を感じたのは六〇キロメートル辺までも及んでいる。」

(『広島原爆戦災誌』1971年広島市発行)


これを京都にあてはめれば 北は本願寺 四条烏丸はもちろん

京都府庁や二条城 京都御苑の南側あたりまでが潰滅

東は 八坂神社 清水寺 三十三間堂 東福寺などが潰滅となる




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




71年目の「Hiroshima」は 猛暑の土曜日

梅小路機関区の跡地に作られた京都鉄道博物館も

たくさんの子供たちで にぎわっていることだろう




京都鉄道博物館 梅小路蒸気機関車庫




ただここを訪れる大人かたたちは

ここが原爆投下の第一目標だったことを

ぜひ知っておいてもらいたい

転車台の近くで空を見上げて

平和の大切さをあらためて感じとってもらいたい


2016年8月6日




京都鉄道博物館
2016.7.23.撮影

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コメント

衝撃的

昨日、父が食事をしていて、「京都に落とされてたら、酷かったやろな」と話していたところでした。
この時、父は鈴鹿山中の軍事施設にいたそうですから被曝は免れているはずですが、母はどうだったか?
いずれにしても、盆地ゆえに爆風は逃げず京都に籠り、甚大な被害となったでしょうね。
  1. 2016/08/07(日) 21:58:40 |
  2. URL |
  3. 枯れ鉄 #-
  4. [ 編集 ]

枯れ鉄さんへ

枯れ鉄さん、コメントありがとうございます (^^)

枯れ鉄さんは、東本願寺の近くにご実家があったと記憶しているので、京都に原爆が投下されていたら、ひとたまりもなかったでしょう。
しかも、京都への原爆投下は、一時的に除外されたとはいえ、ソ連参戦でもなお日本が降伏を決断しなかった時は、3発目の投下目標として再浮上していた可能性が高く、まさに危機一髪でしたね。
お父さまは、鈴鹿山中の軍事施設に動員されていたとのことですが、当時、鈴鹿市には陸海軍の工場が多く、空襲も受けていますから、被曝はまぬがれたとしても、危険な場所にいたことにはかわりなく、何事もなくて本当によかったと思います。
いずれにしても、核兵器は廃止すべきもので、その実現に向けて、少しずつでも進んでいかなければならないなかにあって、防衛大臣に、核武装論者で防衛政策には素人の稲田が、そして都知事に核武装論者の小池が就任するとは、日本も困った時代になったものです。
  1. 2016/08/07(日) 23:51:12 |
  2. URL |
  3. まこべえ #MeArL09s
  4. [ 編集 ]

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