fc2ブログ

光と風のなかへ&追憶の鉄路

追憶の鉄路 佐倉機関区 22






客レを牽く蒸気をはじめて撮影したのも佐倉だった

いま見れば ありふれた走行写真だが

中学一年の時は やったあと喜んで

四つ切りに伸ばして部屋に長く飾っていた

よ~し これからは もっと沿線で蒸気を撮影しよう

そんな気持ちを抱かせた思い出の一枚でもある

このあと八高線 川越線 そして九州 北海道へ

蒸気を追いかけて日本中を旅することになる原点の一枚だ



蒸気機関車 C57 134




総武本線 佐倉
C57 134
フジカハーフ
ネオパンSS
1969(昭和44)2.2. 撮影

鉄道コム


関連記事

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2021/09/03(金) 14:28:57|
  2. 追憶の鉄路 C57
  3. | コメント:4
<<ヨンマルがいる風景 岡山 03 | ホーム | 路面電車が走る街 熊本 10>>

コメント

鉄事始め

枯れ鉄の場合は、最初は梅小路を目指しました。行く途中で、偶々、梅小路操車場発の山陰線貨物が発車する時間だったので、その出発シーンが最初でしたが、まずは機関区に行けば、蒸機が見られるの発想でした。
その後は、タキイ前や、梅区横の築堤や二条駅の出発とかを撮るようになりましたが、その癖が抜けきらず、何処へ行っても、駅近で出発シーンを撮ることが多かったですね。
  1. 2021/09/04(土) 09:11:35 |
  2. URL |
  3. 枯れ鉄 #-
  4. [ 編集 ]

枯れ鉄さんへ

枯れ鉄さん、コメントありがとうございます。

蒸気を撮影しはじめたころは、撮影場所の情報どころか、時刻すらわかりませんでしたから、まずは機関区に行こう、でしたね。
しかも、枯れ鉄さんは、梅小路が近くにあり、タキイ前のような撮影場所もあったので、手軽に蒸気を楽しめたことでしょう。
しかも、美しいシゴナナですから、うらやましい限りです。
私の場合、家のすぐ近くを山手貨物線だったので、旧型電気は何度か撮影したのですが、当時は本数も多く、あまりにも身近だったので、多くは撮影しませんでした。
そのネガもいまは行方不明ですが、見つかったらまたここで紹介しますね。
  1. 2021/09/04(土) 15:17:09 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

事始めの頃

蒸気を撮り始めた頃は、とにかくシャッターを押すのが早過ぎて、機関車が片隅に小さく写ってました。
フィルムが貴重でしたから、連写何てとんでもなく、1列車1枚で、そんな情けない写真を量産してました。
バッチリ真ん中に大きく撮れた時は、まこべえさんと同様に、本当に嬉しかったですよ。
例え、クルクルパーのお皿がのっていても、シールドビームの2灯だったとしても、問題じゃなかったですよね。
あまり上達しないまま無煙化となってしまったので、余計にもう一度撮れたらとも思ってみたりもします。
今の機材を携えてあの日に帰れたら、どんなのを撮ったでしょうか。やっぱり、小さいかもしれませんね。
でも、あの頃は、今よりもっともっと大らかに撮っていたような気がします。
写真は幼かったですが、撮るのは新鮮で面白かったはずです。何故か、最初の頃の記憶の方が鮮明に残っています。
面白いように八高線時代のことは目に浮かびますが、その後はだんだん薄れていきます。
認知症では新しい記憶から消えて行くといいますから、これって危険なことかもしれませんね。
  1. 2021/09/05(日) 22:32:54 |
  2. URL |
  3. こあらま #cPmlTSrA
  4. [ 編集 ]

こあらまさんへ

こあらまさん、コメントありがとうございます。

こあらまさんも、同じ気持ちでしたか。
クルクルパーだろうが、シールドビームだろうが、そんなことよりも、バッチリ撮れた!、というこの感覚が一番ですよね。しかも、あのころは一発勝負でしたからなおさらです。
カマが近づくと、いつも心のなかで、まだまだ、と獲物を狙うように念じながらシャッターを切っていましたが、ときには待ちすぎて大アップなんてこともありました。
そんな失敗作も多かった時代ですが、だからこそ、つぎはこうしよう、ああしようと考えながら撮影していたことが、いまふり返ればとても新鮮な感じで、楽しかったのだと思います。
機関区にもはいれたし、線路も自由に歩けました。いまなら絶対にできない機関車の搭乗もさせてもらえました。
蒸気終焉が近づくと、いろいろ問題も多発しましたが、10代という年齢と、いまよりおおらかだった時代性もあって、楽しめたのだと思います。
宿代を浮かせるために何日も夜行に揺られ、駅寝もあたりまえ。そして駅そばが大切なエネルギー源だったあのころ。
新幹線のグリーンに乗り、それなりのホテルに泊まって旅をするいまのほうが何百倍も快適なのですが、それでもあの頃のほうが楽しかったと思うのは、単に年からくる懐かしさだけではなく、たくさんの路線が各地に伸び、どこの駅にも職員がいて活気のあった時代、さまざまな貨物列車が走り、蒸気があちこちで活躍していた時代、そうした鉄道が地域に密着し、鉄道としての使命をはたしていた時代を知るからこそ、懐かしく思うのかもしれません。
その意味では、よい時代を生きてきたと思います。
そろそろ認知の傾向もではじめ、終活も考えなければならない年齢にさしかかりましたが、記憶がなくなる前に、すべてのネガをデジタル化してwebに残しておきたいと思います。
まだ、未発表のネガが何本もあるのです。

ところで一乗谷。
ここは学ぶことがとても多い場所なので、前職の大学ではゼミの学生を連れて何度も行きました。
それにしても山城まで登られるとは、さすがですね。最近は運動不足がたたって山城に登るのも一苦労です。
  1. 2021/09/06(月) 02:30:08 |
  2. URL |
  3. まこべえ #2XsKFzVg
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する